「何だったんだろう・・」
第一島人との交流に失敗した私は、やや悄然として、宿への道のりを一人歩いていた。
さっきのおじさんとの会話は、極々短いものだった。
地雷を踏む間も無かったと思うけど・・。
「ま、いっか。
こういう事もあるわ。
憧れの『温かな交流』は、次回に期待しよう!」
私はさっさと気持ちを切り替えた。
終わったことを、後悔しても仕方がないのだ。
覆水は盆に返らないんだから。
それに、くよくよ俯いているのはもったいない。
だって、頬をくすぐる風は、湿気と熱気を帯びているし、道の両側には、色鮮やかな花々が艶めいている。
望んでいた南国情緒が満載だ。
「おぉ!これってハイビスカス?
あそこにも、ここにも咲いてる!
色も赤だけじゃないんだ。
ピンクも白も、オレンジもあるんだね。
それにしても、ハイビスカスって、南の島では、そこらじゅうに気安く咲いてるんだなぁ。
あら!あれって、もしかしたらバナナかな。
ウホウホ!なんちゃって。
うわぁ〜、なんだろう、この黄色い花。
やたらと咲き誇ってるけど、これって道ばたに咲いてるにしては、かなりな大輪だなぁ。
ぎゃっ!『ハブに注意』の立て看板だ!
ハブって言ったら、毒蛇よね。
やっぱ、こういうのも気軽に出現するんだ・・」
歩を進めるたびに、目新しい何かが見つかり、私は大はしゃぎしてしまった。
住人からしたら、ただの生活道なんだろうけど、私からすれば、見るもの全てが物珍しいのだ。
そうしているうちに、第一島人との交流失敗のことなんか、すっかり頭から消え去ってしまっていた。
だって、見渡せば、心に思い描いていたとおりの南の島だ。
道を彩る花々に、きらめく太陽。
立ち上る焦げたアスファルトの匂い。
そして、むせかえるような緑色の湿気。
どれもこれも、素敵だ。
「う〜ん、まさに今、旅してるって感じだわ」
また一人で盛り上がる視界に、『海風荘』と書かれた古ぼけた看板が飛び込んできた。
海風荘。
それは、島の宿泊施設の中でも、最安値を誇る民宿の名前だ。
そして、これから一ヶ月弱、私がお世話になる宿でもある。
「・・・看板がこれじゃあ、ご本尊も期待はできそうにないなぁ。
やっぱ、ぼろいんだろうなぁ」
今にも草に飲み込まれそうな看板を見やって、ちょこっと溜息をついてしまった。
いえね。
なにも、我那波島には、古い民宿しか無いわけではない。
コテージ型の素敵な貸別荘もある。
あぁ、私だって、許されるならば、綺麗なコテージに泊まりたかったよ。
でもね、こちとら、しがない学生だ。
映画やライブ、ランチや合コンの誘いを断り、せっせとバイトに励んだと言えども、用意できた軍資金は高が知れているってものなのだよ。
現在のお財布事情で、コテージに泊まろうものなら、一週間足らずで旅行は終了だ。
私は、初めての一人旅は、是が非でも長期滞在したかった。
ならば、どうしたって宿のランクを落とさねばならなかったのだ。
哀しいことだか、現実は世知辛い。
「ま、これも気にしたって仕方ないわ。
ぼろぼろだって、いいじゃない。(みつを風に)
住めば都って言うしね」
今度は無理矢理気を取り直して、宿へと向かった。
こんな風に、全く、全然、これっぽっちも期待はしていなかったのだが。
「・・ははは。
これかぁ」
到着した民宿「海風荘」の玄関前で、しょわしょわと力なく笑った。
海風荘は平屋の民家風の建物だったのだが。
やはり、我が宿はボロっちかった。
しかも相当だ。
こまめに手入れされているようだが、壁の外装は所々剥がれ落ちてるし、屋根も何度も修理したのか、屋根瓦の色がところどころまちまちだ。
門脇に設置されてる守り神・シーサーも、ずいぶんと苔むしておらるる。
極めつけは、玄関扉のガラスだ。
放射状にヒビが入り、なんとセロハンテープで補強されてあった。
なんという貧乏臭さ。
こんなの、初めて見た。
マンガや小説の創作であって、実在するとは思わなかった。
「なんか、今にも壊れそうな廃屋みたいだわ。
台風が来たら、吹っ飛んじゃうんじゃないかなぁ」
つい、素直な感想が口をついて出た。
だがしかし、本音とはいえ、悪口なんか言うもんじゃないね。
「大丈夫さ!
壊れたりしないよ!」
次の瞬間、背後から元気よく声をかけられ、私は飛び上がった。
「海風荘は見た目は古いけど、根太はしっかりしてるんだよ。
ほれ、オバアと一緒さ」
振り返ると、お婆ちゃんが立ってた。
赤チェックのエプロン姿がキュートだ。
私の肩にやっと届くくらいの背丈だが、どこもかしこもまんまるに太っていて、血色がよい。
老婆と思えないほどお肌も艶々だ。
見るからにお達者そうである。
「えっと、すみません。私、別に不満がある訳じゃ・・」
私は慌てて言い訳しようとした。
ところが、お婆ちゃんは聞いちゃいなかった。
ぷっくぷくのほっぺを忙しなく動かし、一方的にまくし立てた。
「あんた、上條美羽さんだろ?
島では珍しいチュラカーギー(美人)だから、すぐに分かったよ。
オバアはね、海風荘の女将よ。
名前は比嘉よし。
よしオバアって呼んでね。
美羽さん、よろしくねぇ。
島にいる間は、オバアのことは親戚だと思って、何でも頼りなさいよ。
アイッ!よく見ると大変!
美羽さん、随分と細っこい腰してるさ。
海風荘にいる間は、オバアがたくさん美味しいものを食べさせてあげるからね。
ほれ、まずはこれカメー(食べなさい)」
よしオバアは、一気呵成に話し終えるやいなや、エプロンのポケットから赤子の拳大の物体を取り出し、私の口に突っ込んだ。
「ふぐぁ!ふぁにほれ?!(なにこれ?!)」
油と黒砂糖の甘い香りが口内で弾けて、私は目を白黒させた。
「オバア特製サーターアンダギー(沖縄の揚げ菓子)よ。
ほれほれ、まだまだたくさんあるから、カメーカメー」
オバアのポケットから、ごろんごろんと追加のサーターアンダギーが飛び出してきて、私の手のひらの上で小山になった。
「果物も黒糖もいっぱいあるからね。
サーターユ(黒糖を溶かした白湯)もいれてあげようね。
はいはい、おいで。
部屋に案内しようね。
部屋にもどっさり用意してあげるから、ゆっくりしっかり食べなさいよ」
よしオバアは、さっさと私を海風荘に引きずり込み、庭に面した四畳半の和室にてきぱき放り込むと、気合い満々に腕まくりをして去っていった。
この間、私が口を挟む隙は皆無だった。
「話には聞いていたけど、実際すごいわ、沖縄オバアのパワー」
どでかいサーターアンダギーを、やっとのことで飲み下し、少し脱力してしまった。
部屋の隅の座卓に、貰ったサーターアンダギーをごろごろと転がし、大きなため息をつく。
初っぱなから気圧されてしまった。
ちょっとばかり悔しい。
でも・・・。
「このお部屋、居心地良さそうだなぁ」
真新しい畳が敷かれた四畳半を見渡し、目を細めた。
これからしばらく私の城となる部屋は、海風荘の外観とは正反対だった。
どこもかしこもピカピカなのだ。
掃除が行き届いてるのはもちろん、座卓の上にある花瓶には、大輪のハイビスカスが飾ってある。
座布団もよく干してあって、お日様のいい匂いがした。
隅々まで、よしオバアの心遣いがあふれているである。
こういうのって、やっぱり嬉しい。
気持ちがほこほこする。
そして、何よりも。
「この部屋、いい眺め!」
今時珍しい模様入りの窓ガラスを開け放つと、潮風が部屋に駆け込んできた。
そして、きちんと草刈りされた広い庭の向こうには、一面のオーシャンビューだ。
命踊る緑と燃える海のあおが、きらきらと輝いている。
鮮やかなコントラストが目を焼いて、眉間が痛い。
美しい景色に、じぃんと胸も痺れた。
「・・本当に素敵。
今日から、いいえ、たった今から、私の素敵な一人旅が始まるんだわ」
感動が怒濤のように期待を連れてきて、つい涙ぐんでしまった。
感涙ついでに、船上での失態や、第一島人との交流失敗はなかったことにした。
「美羽さーん、入るよぉ!」
ドフンドフンという景気の良いノックで、襖が波打った。
返事をする前に、スパーンと襖が開いた。
現れたのは言わずもがな。
よしオバアだ。
「どっさりオヤツ持ってきてあげたよ。
オバアとユンタクしながら食べようねぇ。
あ、ユンタクっていうのは、おしゃべりのことよ」
しかも、よしオバアが掲げてきたお盆の上には、見たこともない南国フルーツや、カロリーの高そうなお菓子が溢れそうだった。
甘い匂いが、潮の香りを瞬く間に凌駕した。
「はいっ!食べて!
みーんな美羽さんも分よ。
遠慮はいらんからね」
甘味てんこ盛りのお盆が、どかーんと座卓に着陸した。
ついでに、よしオバアも座布団の上に、どーんと腰を据えた。
コレを、全部食べろと?
よしオバアとおしゃべりしながら?
「・・ど・どうも・・」
思わず、愛想笑いがひきつる。
確かに、地元の人との温かな交流を待ち望んではいたが・・。
温かを遙かに通し越して、熱々すぎない?
断ろうと思った。
しかし。
「美羽さん、早く座りなさいよ。
ほら、これもこれもオバアの手作りよ。
美味しいよぉ〜」
よしオバアの円らな瞳が、きらきらと輝く様を見て、私は挫けた。
そして、諦めた。
あぁ、人生初の一人旅は、夢と希望に満ちている。
けれども、ままならない至難にだって、満みちているものらしい。
