場面緘黙症を疑ったのは5歳の時だ。

私は幼いころから、家では活発で明るい性格だった。

しかし、保育園に行くとなぜか話せなくなり、次第に友達もできずに孤立した私は、教室の隅で静かに過ごしていた。

それを先生から聞いたお母さんは、私の様子が家と保育園とで大きく食い違っていることに気づいた。

ただ、病気自体があまり知られておらず、ただの人見知りだと思ったお母さんは、大きくなれば自然と治るだろうと思ったらしい。

私は話せないまま、小学校へと入学した。

しかし、小学校卒業間近になっても変わらない、私の家と学校とのギャップに、さすがにおかしいと思ったお母さんは、保健センターに相談した。

そこで初めて、自分が場面緘黙症だということがわかった。

その時、自分のせいじゃなく、病気のせいだとわかった私は、なぜか許されたような気になって、声をあげて泣いたのを今でも覚えている。

小学校を卒業して、佐伯くんたちとは別の中学になり、中学に上がってからも心理センターでカウンセリングを受ける毎日が始まった。

それでも良くならない現状。
中学でも孤立していった私は、段々と希望を失っていく中で気づく。

仕方のないことだって。
望んでも手に入らないものだって。

いっそ必要がないモノなのだと、自分の気持ちを偽る。
その方が楽だと、気づいた瞬間だった。