オドオドしつつ出社すると、佐々木課長は既にバリバリと仕事をこなしていた。
いつも通り、一寸の隙もないピシッとスーツを着こなして、髪型も、何もかもが決まっている。
心春に気づいた佐々木課長がツカツカと近づいてきた。
何か言われる!そう身を固くした心春の頭に軽い衝撃があった。
「これを終日中に終わらせてください。」
心春が両手で支えたのを確認してから佐々木課長は手を離す。
手から離された書類はずっしりと嫌な重さがあった。
内容を確認したくもないけれど、やるしかないのだ。
「はい!喜んで!」
立ち去る背中に返事をするのはいつものこと。
佐々木課長は1分、1秒を無駄にしない。
心春が自分のデスクに頭の上の書類を下ろすと隣の吉田先輩に笑われた。
吉田先輩は2年先輩なだけだけれど姉御肌でサバサバした性格が心春は好きだ。
「いつも元気だね。居酒屋さんみたい。」
吉田先輩の言葉にハハハッと力なく笑う。
心春はどちらかと言えば目立たない方だし、自分自身も極力目立たないようにひっそりと生きてきた。
それなのに就職して佐々木課長の部下になった途端に注目されて、戸惑うことの方が多かった。
今はずいぶん慣れたけど……。
「うわぁ。伝票整理から領収書まで…ありとあらゆるだね。
さすが佐々木課長。」
吉田先輩が呆れ半分なのは、時間がかかって面倒な仕事ばかりだから。
会社は医療機器メーカーで心春は営業事務だ。
製品は聞き慣れない文字の羅列のように感じていたが、それも最近はずいぶん分かるようになってきている。
「外回り行って来ます。
戻りは11時の予定です。」
書類を整理しているとデスクの横を佐々木課長が通り過ぎながら声をかけていった。
あぁ。もうそんな時間なんだ。
「お気をつけて。」
いつも通りに外回りに出て行ってみんながホッと息をついたのが分かる。
佐々木課長は仕事ができるんだけど、できるせい……というか独特の厳しさで、存在だけで緊張感があった。
佐々木課長が出て行くと当たり前のように数人が声をあげる。
「中島ちゃん俺もコーヒー欲しいな。」
「俺も俺も。」
「はい。お持ちします。」
いつも佐々木課長が戻る時間に合わせてコーヒーを淹れるのが日課。
それもコーヒーメーカーでもましてやインスタントでもない。
その場で豆を挽いてドリップするのだ。
心春が入社するまでは佐々木課長自らやっていたらしく、それはそれで驚いた。
心春は佐々木課長直々に指導を受けたくらいだ。
心春の淹れ方はお眼鏡に叶ったようで他の人には代われない。
コーヒーには拘っている……というよりも全てに拘りがありそうな人。
「毎日、大変だね。」
「いえいえ。
コーヒーを淹れるのは好きですから。」
「相変わらず健気だね〜。」
吉田先輩が気遣って声をかけてくれたけど、本当にコーヒーを淹れるのは好き。
コーヒーミルに豆を入れゆっくり豆を挽くとガリガリと音を立てた。
コーヒーのいい香りが給湯室を包み込む。
お湯を回しかけ、ポタポタと落ちるコーヒーを見ると心が落ち着くように感じた。
しかし今日はどうやら寝不足だったようだ。
落ち着く情景は眠りの世界へ誘う睡眠導入剤になってしまった。
ウトウトして夢を見たんだと思う。
頭を撫でてくれる手がとても優しくて、そういえば昨日もこんな優しい手が撫でてくれたような………。
不意にそんなことを思い出した。