『原作』


その電話は真夜中にかかってきた。

慌てて枕元に置いてあったメガネを手探りで探し出しながら受話器をとる。

「お祖父ちゃんが!」

電話の向こうで母はそこで絶句した。

飛び起きた夫にタクシーを捕まえてもらいながら、私は唇を噛んでいた。

やはり伝えられなかった。
その思いも一緒に。

タクシーの運転手はまだ新人だからと言い、突然一方通行に切り替わる入りくんだ道に苦戦しながらも病院へと急いでくれる。
彼が不器用に車を止める度に軋むタイヤの立てる音がやけに耳に残った。

駆け付けた病院の薄暗い廊下には久方ぶりに姿を見る従兄弟や叔父達が集まっていたが、彼等に話し掛けられたくない私は黙ったまま祖父の病室へ身をねじ込むように入り込んだ。

最後に会ってから、どれ程の時間が過ぎていたのだろう。
私達の結婚式にも出席してくれなかった祖父だったから、直接会ったのは大学の時以来かもしれない。

父と祖母の間にあった確執の所為で、一番可愛がってもらった筈の私ですら祖父に会いに行くのに抵抗があったのだ。
だけど、そんなのも全部言い訳に過ぎない。

私は伝えられなかった。

記憶にあるよりも、かなり痩せてしまっていた祖父の顔は明かりがない所為か、酷く黒ずんで見えた。

「おじいちゃん、ごめんね、ごめんなさい。
もっと早く伝えに来るつもりだったのに。
おじいちゃんには絶対知って欲しかったのに。
私ね、赤ちゃんが出来たんだよ?
8月には、おじいちゃんをひいじいちゃんにしてあげられるんだったんだよ?
だから、待っててねって。
それまで、癌なんかに負けないで頑張ってねって。
そう伝えたかったのに。
どうして待ってくれなかったの?
明日には来る筈だったのに!」

夫と日を合わせて休暇を取って祖父に会いに行こう。そう決めた時から、何となく感じていた予感。
きっと間に合わない。
きっと伝えられない。
心のドコカで囁いていたその声を聞かない振りをして私は明日という日を待っていた。
どこかで賭けていたのかもしれない。
明日、伝えることが出来れば祖父が癌に打ち克つような気もしていたから。

だけど。
開けた蓋の中に入っていた結末は。
私の選択を嘲笑うかのように、手遅れという文字を私に突きつけるだけだった。