ある日の放課後のこと。
 すっかり漫研の部室に馴染んでいる北大路が、私とサナの近くまでやってきた。
 一曲作ってやったら私のことをあきらめてくれるだろうと思っていたのに、歌い手“キタ王子”はなかなかに人気が出てしまい、次の曲をとねだられているのだ。
 私としても、キタ王子の歌ってみた効果で原曲も再ランクインするなどの恩恵があったから、まあやぶさかではない。
 でも、あくまで私のメインの活動は漫画を描くことだから、そのへんは理解してもらうつもりだ。
 というわけで、北大路は相変わらず放課後はほぼ毎日、漫研の部室にいる。

「姫川、ちょっといいか?」

 北大路が近づいてきたとき、新しく描きたいものの構想を練ると称していらないプリントの裏に落書きをしていたから、サッと裏返す。サナは何を考えているのか、慌てて乳首をグリグリと黒く塗りつぶし始めた。サナが描いていたのは、裸の男ふたりが見つめ合っている絵……隠さなければいけないのは、そこだけじゃないのに。

「ど、どうしたの? 何か用?」

 北大路の視線がサナの手元に向かないよう、仕方なく私から声をかけた。すると、北大路は嬉しそうにスマホを見せてきた。

「姫川が作ったこの曲を次はカバーしてみたいと思ったんだ」
「え? カバー? オリジナルじゃなくていいの? ……って、この曲は……」
 
 北大路が見せてきたのは、動画サイトの画面。流れているのは、数ヶ月前にずいぶんと気合いを入れて作った曲だった。

「姫川が作った曲はどれも好きなんだけど、この曲は特に胸にくるものがあったんだ。MVもかっこいいし」
「あー、うん。これはサナがめっちゃ張り切って作ったから」
 
 べた褒めしてくれるのは嬉しいけれど、どうしても歯切れが悪くなってしまう。
 というのも、この曲は他の曲と違って思い入れが強いというか、ワケありなのだ。

「この曲、気に入ってくれたのは嬉しいんだけど、カバーはどくかなあ……?」
「あー! その曲!」

 何とかサナに気づかれる前に北大路の興味をそらそうとしたのに、ひと足遅かった。サナはキラキラとした瞳で、北大路のスマホを見つめていた。

「それ、あたしが大好きな押しカプのためにメーちゃんが作ってくれた曲なんだよ」

 うふふと、幸せそうにサナは言う。
 そうなのだ。この曲は、サナが当時ハマっていた漫画の、あるキャラたちのイメージで作ったものだ。
 オタクの中には、作品やキャラにハマりすぎると勝手にイメージソングを考えたり、髪色やテーマカラーから私服を考えたり、好きなキャラたちの結婚式のプランを考えたりする人がいる。
 サナもそういったオタクのひとりだ。
 でも、そのときハマっていたキャラたちに合う曲がなかなか見つからなくて、そのせいで妄想もいまいちはかどらなくなってしまったのだ。
 だから、そんなサナを救うためにコンセプトから何から一緒に考えて作ったのが、この曲だった。

「押しカプ?」
 
 突然飛び出したオタク用語に、北大路は首をかしげた。そんなことを聞いたらだめだよーと思うけれど、こいつはまだそういったことがわからないらしい。

「あのね、キンヤくん。推しカプっていうのは、推しカップリングの略なの。カップリングっていうのは、言ってみれば組み合わせのことね。簡単に言うと好き同士、恋愛関係を表す言葉だよ。ちなみに、この曲はどのカプのイメージソングなのかっていうと……」
 
 サナはスマホを取り出し、自分の推しカプについて説明し始めた。これはおそらく、しばらく止まらないだろう。だから、私は北大路の気をそらそうとしたかったのだ。
 オタクというのは、自分の好きなものの話になるととことん話したがる生き物だ。作品やキャラへの愛があふれて止まらなくて、ついつい熱く語ってしまうのだ。……自分もそういう生き物だという自覚があるからこそ、他のオタクの子を見るとひやひやしてしまう。
 サナは何とか腐談義に花を咲かせたい欲求を抑えながら、その推しカプが出てくる作品について北大路に語っている。

「バディものなんだけど、あたしが応援してるのは、この主人公とその相棒でありライバルの彼じゃなくて、このふたりを支えるこの人ね」
「大人なキャラクターだな。司令官か何かか?」
「そう! キンヤくん、いい目を持ってる! この司令官は全力で主人公たちをサポートするんだけど、それには理由があって。これ! このキャラ! 敵の缶部のひとりなんだけど、実は司令官のかつての仲間なの! 仲間が悪の道に墜ちるのを救えなかった司令官は、主人公たちを支え、育て、いつかその仲間を助けたいって思ってるの!」
「おお……壮大で、面白そうな話だな」
「でしょ! でね……」
 
 サナが見せているのは、そのアニメの公式サイトに行けば見ることができるコンセプトムービーだ。そのアニメの見せ場や面白いところをギュッと凝縮し、アニメ放送前から話題を集め、未見の人にも視聴のきっかけになるようにと作られている。
 だから、この手のムービーというのは誇大であることも多い。ひどいときには、ムービーの中に登場したシーンが本編に出てこないということもある。サナの愛するこのアニメも、そういうコンセプトムービー詐欺アニメのひとつだ。
 司令官と敵幹部の熱いかけ合いに見えたシーンは、実は全く関係ないシーンのつぎはぎで、ふたりの関係性はあきらかにされるものの、本編ではそこまで絡んでこない。
 だから今、サナが北大路に語って聞かせている物語の概要は、コンセプトムービーと設定から妄想を働かせて補完した、実際とは異なるストーリーだ。
 オタクとは、公式から供給された物語で満足できないときは、脳内で補完し、時には設定を捏造してしまう生き物なのだ。
 でも、そんなことは知らない北大路はまんまとサナに乗せられ、目をキラキラさせて話に聞き入っている。

「面白そうだ。俺も見てみたい!」
「そう言ってくれると思った! じゃあ、明日ブルーレイ持ってくるね」
「ありがとう。イメージソングをカバーしてもらうのなら、どうせならちゃんとその世界観を理解したいからな」

 こうして、サナの布教第一段階は成功してしまった。これからどんなことが待ち受けているのか知らない北大路は、殊勝なことを言っている。でも、いつまでその曇りなき眼(まなこ)でいられるのか……と、私はこっそり溜息をついた。