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 午後の授業も終え、歪んだ影を映す校舎では、間近に迫った文化祭の準備に、慌ただしく動き回る生徒達の声で活気に満ち溢れていた。

 そんな中、クラスの催し物が休憩所となっている理奈にはそこにいる必要が無く、忙しく部活へと向かう友人達を見送り、独り寂しく学校を後にした。そしてゆっくりと歩きながら、怪訝に考えを巡らせていた。


 約束の日を過ぎたのにa2がまだ現れない。一体どうしたのかな? あの人格からして、一分一秒さえも無駄にはしたくないって感じなのに、こんなに遅れるだなんて…。きっと何かあったんだ。もしかして状況が変わってしまったとか…そんな事ってあるのかな?


 実際、a2が現れたとしてもどちらを選択するかはまだ決まっておらず、答えを迫られると困るのだが、来ないとなると急に気掛かりとなる。何故なら、やはり頭の中では選択をしなければならないという意識はあり、問題を解決させるべきだと感じていたからだ。だがこうして現実味の無い人物を待っていると、全てが夢だったのではないかという錯覚に思えてしまう。

 傾く陽射しに照らされた、その見覚えのある後ろ姿に近付き、彼は声を掛ける。

「理奈」

 呼ばれて振り返ると、悠が屈託の無い笑顔でそこにいた。

「あれ? 部活は?」

「今日はミーティング。っても、15分位で終わったけど。試合の後だし、文化祭が近いから暫くゆるいかんじで。サービス期間?」

「なんだそれ?」

 理奈は軽く笑った。

 けれど直ぐに沈黙してゆっくりとまた歩き出す。悠も並んで足並みを揃えた。理奈の表情は暗く、幾つかの思い当たる節に、悠は話を向けてみた。

「また運命の相手の事を考えてた?」

「…約束の日を過ぎても、ディスポウザーが来なくて」

 俯く理奈の姿を見て、元気づけようと態と明るい声で悠は話し掛ける。

「このまま来なくてもいいじゃん。それで自然の流れに任せてみれば? 本来それが普通なんだし」 

「なによ、他人事だと思って、適当な事言って!」

 直ぐに理奈の頬は河豚の様に膨れた。

「別に適当じゃないよ。最近ずっと暗かったからさ、もっと楽にすればと思って…。オレだってそれなりに気に掛けてんだよ」

 少し恥ずかし気に髪を撫でながら、理奈から視線を外して話す悠。その優しさが隣にいる理奈にも伝わってきて、心の奥にある本当の事由を話し出した。

「あたし…、確かに将来の相手の事も重大な問題だけど、それよりも今現在、想っている人の事で気持ちが精一杯なんだよね。本当に起こるかどうか判らない先の事を考えてる余裕なんて無いんだよ。 
 ハルも知ってるでしょ? あたし、家庭教師の麻生さんの事が好きで、今は麻生さんの事で頭の中が一杯なの。あれは本当に麻生さんの彼女なのか、麻生さんに想いを伝えるにはどうすればいいのか、それとも諦めて忘れるべきなのか…、どうする事が一番良い方法なのか、毎日考えて、考えて、考えても…答えが見つけ出せなくて、苦しくて、上手く呼吸が出来なくて…。あたし…、こんな想いをするの初めてだよ!」

 想いを口にする事により感情が次第に昂り、理奈の唇と指先が小刻みに震えた。

 頼りないその姿が悠には愛おしく思え、理奈の左腕を取り、自分の胸元へと引き寄せると、背中に手を回し、その小さな体を包み込み強く抱きしめた。

 サッカーをしている悠の体は、痩身でありながらも程良く引き締まっている。その胸に顔を埋め包み込まれる事が、なんと心地好いのだろう。力強い腕に安らぎさえも覚える。

 幼い頃からいつも一緒で、甘えたがりの我儘なあの悠が、何時の間にかこんなにも成熟していたのかと、理奈は戸惑いを隠せないでいた。