2


「お待たせ」

「おう、行こっか」

 態々迎えに来てくれたのを外で待たせるのは忍びないと、理奈の母が招き入れ、悠にリビングで待ってもらっていた。

「おばさん、ありがと」

 言って、理奈の母が出してくれたお茶請けのピーナッツチョコレートを一つ口に放り込み、悠は軽く手を挙げた。

「楽しんでおいで」

「はーい」

 二人は声を合わせて返事をし、家を出た。

 悠が先に歩き出し、慌てて理奈もその後を追う。悠の横に並び、顔を覗き込む様にして嬉しげに話し出した。

「今日、寒いね」

「あぁ」

「今年は寒くなるのが早いよね」

「あぁ」

「もう冬って感じだよね」

「あぁ」

「冬服とか出してる?」

「ぼちぼち」

「冬って重ね着できるから楽しいよね」

「そう?」

「フワフワしたのとか着たくならない?」

「………?」

 理奈の話しに素っ気無く返事をしていた悠が足を止めた。それに合わせて理奈も足を止める。

 今日は何時もの理奈と何かが違う。機嫌良く理奈の方から話し掛けてきたし、何時もは、こんなどうでもいいような話を長々と話題にはしない。それに昨日までの苛々モードが嘘のように消えている。悠は何かあると察した。

 右手を軽く握り口元へ持って行く。理奈の態度を疑って、まじまじと顔を見た。


 やだ、ハルったら…。もしかしてあたしに見惚れてる? スカート姿で何時もと雰囲気が違うからって、そんなに真剣な顔して見られたら、あたしだって恥ずかすぃー。


 理奈は柄にも無く、両手を後ろに回し、脚をクロスして見せた。

 今迄、悠が女の子ウケする事に気付かなかった理奈は、悠はモテて、自分だけ男の子に縁が無いという事が悔しくて、自分もその気になれば、その辺の女の子には負けていないのだという事を悠に見せておきたくて、悠への対抗心から、今日は何時もと違う可愛らしい服装をしていた。

 理奈の考える可愛らしい服装というのはスカートを履いている事で、例えば好きな人に会う時だとか、大好きなアイドルのコンサートに行く等といった気合の入っている時で、大概はデニムといった動きやすい格好をしていた。

 だから普段、友達と映画を観に行く程度なら、Tシャツにデニム、スニーカーで済ませるのだが、今日は丸襟の白いブラウスに胸元にピンクのアーガイルの模様が入っているチャコールブラウンのセーターを重ね着して、ボトムスはライトグレーの地にピンクのチェックで膝下丈のボックスプリーツスカート、チャコールグレーの靴下は両サイドにセーターのアーガイルと合わせたポイントがあしらってあり、チョコレート色のストラップシューズといった格好。それにラインストーンでキラキラ光る星のチャームを付けた、キャラクターが描いてある黒い小さなトートバッグを持っていた。


 『こうやって改めて見ると、理奈って可愛いじゃん』なんて思ってるんじゃない? 
 フフフ……。
 そういう事は恥ずかしがらずに素直に口にして良いのよ。さぁ、言ってごらん。『今日の理奈は可愛いね』って!


 理奈は信じてその言葉を待った。そんな理奈とは反して、悠は不審を抱いていた。


 ぶ、不気味だ…。なんだか知らないけど顔が笑ってる。この天気だ、もしかしたら雷が落ちて来るかもな。


 悠は何時もの理奈と態度が違う事には気づいていたが、残念ながら理奈の服装の変化には全く関心を持っていなかった。

 理奈にとっては気合を入れた服装でも、世の女の子にしてみれば粗だからだ。

 だが理奈は悠が恥ずかしくて何も言えないのだと勝手に解釈し、その言葉を諦め、再び歩き出す。

「でも、ハルのそのパーカも可愛いよ」

 と、唐突に珍しく悠を褒めた。

 ちなみに悠はシンプルな空色のパーカを着ている。

「?」


 あ、そっか…。そういう事?


 何の脈絡も無い理奈のその一言で、今日の理奈が何故機嫌が良いのか、悠には謎が解けた。

「理奈には負けるよ」

 悠は気を利かせて、理奈に話を合わせてあげる。

「やっぱり?」

 理奈は今にもワルツを踊り出しそうな足取りで、悠の周りをクルクルと嬉しそうに回った。

 幼い頃からの長い付き合い、理奈の扱いに慣れている悠の方が、一枚上手だった。


 単純…。でも、スカートを履いて見せて喜んでるなんて、理奈は子供だな。下ろし立てなのか? それか、他に見せる相手がいないから、それではしゃいでるのかも。可哀相に…。まだ青春を知らないのか。もう18歳なのに…。


 悠は勝手な思い込みで理奈を哀れんだ。

 お互い相手の心情を履き違えているにも拘わらず、何故か会話が成立している事が不思議だ。

「なんか心境の変化でもあった?」

「え?」

「違うの?」

「………」

 普段と違う行動を取るのには何か意味があるのかと考えた悠。だが、実際には心境の変化など無く、只の悠への対抗心からきているものであり、それを正直に言ってしまうと、発想が子供っぽいと馬鹿にされるに違いない。(実際には勝手な憶測から既に馬鹿にされているのだが)口が裂けても本当の動機は言えない。そこでなんとか他の言い訳をしなければと考えを巡らせる。それで昨夜考えていた事を思い出した。

「…心境の変化って程のものじゃないけど…、自分がすべき行動が一つ決まったかな…って」

「何?」

 悠は疑わず理奈の言葉に耳を傾ける。

「武田の事…。やっぱり断ろうと思って。お互いの気持ちを考えると、そうする事がいいかな…て」

「ふーん」

「あたしはハ…、」

 言おうとして口を接ぐんだ。

「?」

 話の途中で言葉を切ったので、どうしたのかと悠は理奈の顔を窺った。

 理奈の言葉の続きはこうだった。

 『あたしはハルと違って、みんなに良い顔はしないからね』

 だが、せっかくの休校日、せっかく久々に悠と過ごす休日、せっかく服装をキメてきたのに、こんな売り言葉を吐いてしまうのは良くないと、思い留まった。


 今日くらいは気分の良い一日でいたいし、ハルとは休戦だな。


「なんでもない。今日は仲良くしようね」

 言って理奈は、悠の右腕に自分の左腕を絡め、頭を悠の肩に押し付けて戯けて見せた。

「はい?」

 普段なら絶対に考えられない行動に、何か裏があるのではないかと (例えば何か強請られるとか) 疑ったが、仲良くするのに越した事はないので、悠もそれ以上は敢えて追及しない事にした。