一瞬の出来事ではあったが、見間違いではなかった。


 自分の目の前、わずか数歩の場所に人影がある。それは、自分よりもはるかに大きく、明らかに小柄なマノンのものではなかった。


「誰? ひょっとしてお兄様なの?」
 

ケイトリンは、それが男性であると直感した。父親が彼女の部屋を訪れることはほとんどない。兄のギースにしても、最後に彼女の部屋に来たのは数年前のことだ。


 それでも、若い女の部屋に、しかもこんな夜更けに枕元に立つ男性など、ケイトリンには家族以外に想像できなかった。肯定の返事を期待したが、影は無言のままだ。


 影が返事をよこさないとわかって、ケイトリンは初めて恐怖した。


(お兄様ではないのだわ。人を呼ばなくては!)


 息をのんだが、助けを呼ぶ声が出ない。恐怖に体がすくんで、身動きもできない。


 その直後、雷鳴が天に嘶いた。ドォーンという音と同時に、大きな地響きがケイトリンの足元を揺らす。


「きゃあ~!! いやっ!!」


 雷に喉元の封印を解かれたように、ケイトリンは悲鳴を上げた。


 幼いころ、落雷で生じた火災に巻き込まれて以来、雷はケイトリンが最も苦手なもののひとつだ。稲光はなんとか我慢できるが、雷鳴が轟くと、どう努力しても冷静でいられない。


 一度悲鳴を上げると、それが呼び水となり、次々と悲鳴が上がる。


「いや! やめて! やめてぇ~!」


 バリバリと地を引き裂くような音が次々と耳に入る。どこかに落ちたに違いない。もしや、自分の屋敷も火事になるのではないか。助けを求め空中をさまよったケイトリンの両腕は、目の前にある頑丈そうな影を引っ掴んだ。


「大丈夫だ。静かにしろ」