部長は何故か口元に笑みを浮かべて話を切り出した。田中さんは私の1歳下の後輩で武藤さん付きの営業2課の事務の子だ。彼氏がいることは知っていたけれど結婚するとは知らなかった。
「いいえ……知りませんでした……」
「田中さんが結婚を機に退職したいと申し出てきてね」
「そうなんですね……」
珍しいなと思った。夫婦共働きが増えたし、この会社でも寿退社なんて久しく聞かない。友人も同僚女性も結婚してからもそのまま会社に勤め続けるものだと思っていた。
「その田中さんの後任で武藤くんのアシスタントは戸田さんにお願いしたい」
「え!?」
嫌な予感が的中して思わず大きな声が出てしまった。
「私……ですか?」
田中さんの後任ということは武藤さんと共に仕事をするということだ。武藤さんの考えていることがわからないし、私とタッグを組んだところで良い仕事ができるとは思えない。
「武藤くんは来月からさらに大きなプロジェクトが入るし、サポートは戸田さんが最適だからね」
40代半ばの体格のいい部長は笑顔で私を見る。
「でも……山本さんは?」
私が武藤さんのアシスタントに回れば山本さんが困ってしまう。この先山本さんも大きなプロジェクトを担当する。私もそれに向けて準備を進めていた。課長二人の業務を兼任するなんて自信がない。
「山本くんには新入社員の子をつけるよ。慣れるまで大変だろうからサポートでもう一人事務をつけるけど、それは戸田さんじゃない他の人にやってもらう」
ではもう私が武藤さんの営業事務をする決定は覆らない。不満と不安が混じった顔をしていたのだろう。部長は私に困った顔を向けた。



