「なんであそこで帰らされたのか知らねーけど、そっちが何考えてるのか喋らないと分からないだろうが。」

 どうせ言ったところで何も返事はないと踏んでいる犬飼はブツブツと1人文句をつぶやいていた。

 あの後、無理矢理に引っ張られ、仕方なく部署に戻ってからは資料の整理をしていた。

 資料をまとめたり整理するのが苦手な犬飼は進まない仕事をどうにか進めながら、聞いているのかよく分からない美雨に言うともなくつぶやく。

 美雨は犬飼の後ろ側の席に座ったまま、ぼんやりしていた。

「死期を悟った猫が死に場所を探して出て行ったなら知らない方がいいとも思ったが…違うなら確認してやった方がいいんじゃなかったのか?」

 まぁあの小僧が餌をやってたのが平井さんの猫かどうかは分からないが…。

 沈黙が流れ、やはりなんの返事もない。
 こんな時まで無言かよ。

 げんなりして頭をかきつつ振り向くと、後ろの席で寝入っている美雨が視界に入った。
 椅子にもたれかかり、腕に頭を乗せている。
 長い髪は重力の赴くままにサラサラとこぼれ落ちていく。

「寝ちまったのか。
 ま、こっち来て初日じゃ疲れるわな。」

 抱きかかえると驚くほど軽いことに改めて気づく。
 この小さいのがあんなに反抗的に力任せに噛み付いたのかと苦笑してしまう。
 犬飼の手には今でもくっきりと歯型の跡があった。

 仮眠室に連れていき、簡易ベッドにそっとおろしてやる。
 そして体に回していた腕を離すと、異変に驚くこととなった。
 美雨にギュッと抱きつかれたのだ。

「なっ…。」

 寝てなかったのか…っていうかそうじゃなくて!
 なんだよ。この状況。

 首に腕を回されて、しがみついてきた美雨は犬飼の首元に自分の首を擦り付けてきた。
 温かいぬくもりといい匂いの髪が首をくすぐって、心がザワザワする。