わたし達とっても仲良しなんで間に入るのやめてもらえませんか?

「散歩ってことは、もしかしてご自宅が公園の近くだったりするんですか?」

「うん、そおだよぉ。あれが、ワタシたちの住んでるところだよぉ。」

発声と同時に人差し指で示したその場所は、さっき慰陽さんが顔を出した、あの建物だった。ランダムで現れるモンスターのような登場に虚を突かれていて注視していなかったが、あれがこの人の拠点か。外観からして明らかにアパートで、広過ぎず狭過ぎすといった敷地面積を占めている。ここで暮らしているのかと頭の片隅で何となく思念していると、自然と昨日から気になっていた事柄を思い出した。その内一つを質問してみる。

「そういえば慰陽さんって、誰かと一緒に暮らしているんですか?」

ワタシ"たち"というからには他にも同居者がいるはずだ。

「そおそぉ、あれ?言ってなかったっけぇ。じゃあ会ったことも……ないかぁ。初めて言うのかぁ、そっかぁ。そうなのぉ、ワタシ、妹の影良《えいら》と一緒に住んでるんだぁ。」

「影良さん、ですか。」

またしてもどこか覚えのある名称が耳に響く。影良、影良、うーん。影良、五郎丸……五郎丸影良。誰だ。謎の人名を創造したところで、記憶の目的地ははっきりしない。まぁいい。縁のことさえ確実に記憶していれば何事も上手くいくに違いない。慰陽さんについては、世間的にやむを得ない状況で知り合っているから仕方がない。近所に住んでいると初めて察知した時から、付き合いを断ち切ることは諦めた。ただなるべく最低限の交友には留めておきたい。

「もぅ影良も反抗期なのかなぁ、今朝一緒に散歩に行こうって誘っても、めんどくさいとか言って着いてきてくれないしぃ。その点縁ちゃんは従順そうだからぁ、いいなぁ。」

「…………」

二度あることは三度あるように、慰陽さんの口上は再度縁に矛先を向け、縁も負けじと沈黙を発動する。もはや何度目か分からない。今までにだって縁と慰陽さんはそれなりに対峙しているはずだ。大部分は私も同行している時だと思うが。

「でもぉ、夏休み中には二人で遊びに行くって約束してるんだぁ。とっても楽しみぃ。」

慰陽さんはめげる素振りも見せずに切り替えて、妹の影良たる人間に思いを馳せている。
妹、か。妹と言っても私は縁しか浮かばないから、他人の姉妹関係はあまり興味が湧かないな。

「それは楽しそうですね。」

気の向くままに、日本語を勉強する際の例文に適していそうな一文を適当な語調で述べた。加えてもう一つ気になっていたことを、社交辞令の意味も兼ねて質問する。

「あと、昨日の夜言ってたことって何です?」

電話の切り際《ぎわ》で慰陽さんが言いかけていたことだ。一応聞いとかないと。

「そぉだぁ、ワタシ、絆ちゃんの電話番号は教えてもらったけどぉ、メアドまで知らないんだよねぇ。だから教えて、くれなぃ?」

「……はぁ、まぁ。」

メールアドレスか。別にそのくらいなら教えてもいいだろう。ちらっと縁の方を見ると縁はまだ垂直の姿勢を保っていたが、目線だけはこちらに寄越して肯定の仕草を表してくれた。そうだね。個人情報を不用意に伝えるのは危険であるという意見も一理あるけど、どうせ縁との携帯のやり取りは少ないし。近距離に共存していれば電波も必要ないのだ。文明の程度も高が知れている。既に電話番号を知らせてしまっている今となっては、メアドを教えたところで変わりあるまい。

「いいですよ。」

了承の意を発して、お互いに携帯を操作する。登録の完了を確かめると、慰陽さんは満足したようだった。

「この後どうします?私達は公園まで行く予定ですけど。」

私達の現在地から公園まではそう離れていない。早くここから脱して、安らぎの空間へと居座りたい。子どもが怪我をするとかで撤去され始めてしばらく経つバネを模した遊具も、その公園では未だに存続している。昔は縁を背中におんぶして乗り回したものだ。良い子は真似しないで、とは言わない。当時他の子どもが遊具を占領しているのを見て怪我すればいいのにと思っていたくらいだ。私は絶対、縁に傷を負わせるような失念はしないが。

「おぉ、やったぁ。ワタシも公園まで五郎丸ちゃんを連れていこうかなぁって思ってたんだよぉ。」

しまった。思い出に浸っている場合ではなかった。あぁ、失敗。傷つけてはないけど、言ってるそばからしくじった。目的地まで言う必要はなかったではないか。これでは慰陽さんが私達の癒しの散歩に引っ付いてきてしまう。しかも元はと言えば、昨夜慰陽さんが電話してきたのも切っ掛けの一端なのに。

「絆ちゃんも、縁ちゃんも、一緒に行こぅ?」

話の流れを純粋になぞって、慰陽さんは提案する。慰陽さんから縁に視界の主部を置くと、やはりご機嫌斜めのようだ。ごめんよ縁、と暗黙に伝えるつもりで縁の頭を撫でる。他人に介入されると、私も気が進まないよ。

「……はい。」

しかし断る訳にもいかず、渋々了解した。もし相手が自分以下の立場や年齢だったら遠慮なく却下するだろうが、慰陽さんは女子大学生だ。私よりも背は高い。肉体の優越は、単純に恐怖を想起させ、反抗する勇気を消沈させる。また慰陽さんの性格はおっとりしているのか何なのか掴み辛いものなので、別種の警戒心を構えなければならない。内外から滲み出る異質な雰囲気に、女子高生と女子中学生は有無を言わさず束縛されてしまうのだ。
でも考えてみるとその割には私、結構軽い気分で慰陽さんと会話してるな。この段落の理論、やっぱり無しで。

それから公園へと続く砂利道を二人プラス一人で進み、ようやく公園に辿り着いた。誰が一人かは言うまでもない。あ、それとプラス一匹か。
芝生が生い茂る区域で慰陽さんは懐からボールを取り出し、それを投げた。放たれたボールを求めて足元の犬が走り出し、ボールを捕まえた上で元の場所に戻ってきた。なるほど、こういう遊びをするのか。その後も慰陽さんと犬は嬉々としてボールを投げて、追って、捕まえての繰り返しに戯れていた。

対する私達はベンチに座り、慰陽さんと犬のじゃれ合いを傍観するような恰好を装っていた。実際は専らお互いのことを眺めている。
昔乗りこなした遊具も相変わらず残っているし、華の女子高生がバネに跨って激しく前後に揺れるのも一興ではあると思うが、せいぜい一興でしかないので、物静かにベンチに腰掛けて縁と談笑することにしたのだ。とは言うものの、談の方ができても笑の方にまで結びつかない。視線を交わしても鮮やかな笑顔は飛び交わない。恐らく、慰陽さんという存在が違和感でしかないからだ。

それに話題が目の前の慰陽さんの件くらいしか無いので、好ましくないと言えどもその話題をどうしても振ってしまう。結果、縁の判然としない相槌と二人の無言の時間が周期的に重ねられて、正に何とも言えない雰囲気になる。せっかく気持ちを新たにしようと来たのに、主に慰陽さんの責任で台無しだ。残念極まりない。

当事者兼責任者の慰陽さんは犬とのボール遊びを十分楽しみなさったのか、その場で自身の身だしなみや犬の体を整え、私達の方へ向き直り、「ありがとぉ」や「またねぇ、絆ちゃぁん、縁ちゃぁん」と叫びながらそそくさと帰って行った。帰り際は早いんだなと妙な感心を得たが、もしかすると妹さんの都合なのかもしれない。昨日の電話からするに食事は慰陽さんが作っているだろうから、妹さんに三時のおやつを作りに戻った、なんて可能性がある。時間もいい時間だし。まぁそこまで親密なのかは定かでないが。

そんな慰陽さんも去ったことだし、やっと縁とのんびり過ごせる。解放された嬉しさからか程よい心地良さが身体全体に行き渡り、久し振りにリラックスできた。縁も同様に、先程までの強ばった表情とは打って変わって穏やかに緩んでいる。

「なんか疲れたね。」

「うん。」

そう言うと縁は空めがけて両腕を真っ直ぐ伸ばし、次いで大きく息を吸った。疲れを象徴する動作のはずだが、私より小さな身体がS字を強調させる様は疲労という情調の枠を超えた色っぽさを披露し、何だかドキッとする。やはり縁の可愛さは永久不滅だ。一度認識しても再認識、再認識しても再々認識する。本当、一生縁の虜だよ。

「でも良かった。これで気分が楽になったよ。やっぱり縁と二人きりがいいな。」

「わたしもだよぉ。」

縁が深い吐息と強い共感を露わにする。その返事は大変喜ばしいのだが、間延びした語尾を聞くと縁とは無関係につい慰陽さんのことが脳裏に浮かびそうになるので、注意せねば。軽はずみに縁以外のことを考えてはいけないし、縁のことも軽々しく扱ってはいけない。あの人に関しては、無かったこと、亡き者と仮定してこれからを生きていこう。

そのまま快活に会話の花を咲かせていると、あっという間に数時間が経っていた。縁と二人きりの方が遥かに時間の流れが早い。楽しい時間は早く過ぎる法則だ。勿体ない気もしなくはないけど、楽しいのだから文句は言えない。むしろ歓迎だ。そんな風に充実した縁との生活を続けていきたい。

もう日が暮れるし、縁は夕食の支度もあるだろうからそろそろ帰ろうか、と二人でベンチから離れる。

帰り道を歩いている途中、私はとある疑問を縁に尋ねるかどうか迷っていた。手を繋いで横にいる縁を見ると、縁の慰陽さんへの苛立ちは完全に収まっているようで、るーららーと鼻歌まで歌い始めていた。心地良い響きに微睡《まどろ》むほどのくつろぎを感じつつも、これは今しかない、と決心して縁に投げかけてみる。

「縁、昨日の夜、どうしたの?」

縁の鼻歌が意想外の発問により中断された。完璧に死角を抉ってしまったようだ。
そう、昨日私のベッドの上で、もっと言えば私の上で、縁が何かに目覚めた件だ。ついでに言うと縁に釣られて、私も少なからず気持ちが昂っていた。
覚醒した縁は何処か積極的で、私は縁の為《な》すがままになっていた。今までの私達は対等な接触や交際を主軸としていただけに、勢力均衡が崩れるのは新鮮だった。お互いの立ち位置に高低差が生じると、感じ取るものも変わってくるのだと学んだ。それも全部縁に関することであるから、私は無条件で受け止められる。私は縁の領域に生きていくのだ。
ただいつもと様子の違っていた縁が気掛かりだったから、聞いてみただけだ。
気になる縁の回答は、

「……な、何でもなちよ。」

……あ、噛んだ。可愛さに尽きる。
やっぱり、少し意地悪な質問だったみたいだ。縁の口からは言いにくいことだったら、無理をして言葉にしなくてもいい。言語で理解することも重要だけど、態度で直感することもそれ以上に大事だから。質問しておいて何だが、縁の心理は私としてもよく分かる。私も縁に無性に抱きつきたいと思う時があるし、他にも色々したいと欲情する時がある。その頻度は縁より高いかもしれない。とにかく、未知なる道を開拓したいという渇望を抑え切れないのは感情の宿命だ。その精神を尊重できたから、私達はキス、することができたんだ。

そうだ。
そうなのだ。
あのキスが一時の思い出で終わらないためにも。
私にはまだ送るべき"返事"が残っているのだ。
昨日「おやすみ」と言った後から、伝えようと温存していた言葉。

「ねぇ、縁。」

噛んだ事実を隠すように俯かせていた縁の顔を、もう一回私の方へ呼び寄せて。

「昨日縁も言ってくれたけど」

心して前置きを入れた後。


「私もずっと縁のことだけが好きだから。」


はっきりと、縁の耳に届ける意識で告げた。
昨夜耳元で囁いてくれた縁へのお返しに。
追加で、当たり前だけどね、と言い足す。
照れや恥ずかしさよりも、好き、その直線的な思いが先に募る。
繋いだ起点からじんわり移る二人の熱を片手に。
いつまでも隣にいてくれる妹は。


縁は、今日一番の笑顔を魅せた。


さて今日から夏休み。

映画と海は、いつ行こうか。