『姉』
翌朝、予告通り朝食の後に縁と近所を散歩しに外へ出た。まだ低い太陽を視野に入れて、何となく光から逃げるように方向を決める。
「公園までにしようか。」
「うん。」
家からそれなりの距離にある公園までを往復しようという旨を縁に伝える。縁も朝の日差しに目が眩むようで、自然と私の指す方へと足が動いていた。私達が散歩するのは珍しいことではない。これから向かう公園はそれなりの頻度で利用する。特に縁の受験の前は二人で一緒に訪れたものだ。受験の年も縁の気分転換のために数回は来ていたが、それ以前と比べると遥かに少ない。遊び目的で公園に来園したのは、私が中学に入る手前で縁が小学生低学年の頃が最盛期だったかな。あの時代は、私達が通る道、通わす意識、通じる好意に他人の干渉する余地なんて考えもせず、一直線に澄み切った未来を見据えていた。まぁ今も心持ちは大差ない無いつもりなんだけど、ただ言えるのは取り巻く状況と環境が異なる態度を見せつつあるという外観的な変化だ。どうでもいいと言えばどうでもいい。
縁と手を繋いで、暖風にも寒風にも当てはまらない風が半袖の先を掬《すく》うのを知覚しながら公園までの道のりという一種の旅路に慰安を添える。爽快感とは一定以上の距離がある気候の中で柔らかに燃える花火が手のひら中心に展開されて、賛辞や感銘より先んじて授けられる儚さに似た印象を例外的に持続させたと例えられる余情を沈静に受け止めた。要するに、日常的に縁との手繋ぎを経験していても当然心の内側では喜びを隠し切れず
あるはずなのに。
「あぁー!絆ちゃんだぁ!」
慰陽さんが建物の物陰からひょいと顔を出してきた。
全力で集中力を縁に傾けていた私は、予告無しの人物の到来に驚かざるを得ない。
「い、慰陽さん。おはようございます。」
「おはよぅ。というか、こんにちはぁ。いや、ごきげんよぅ、かなぁ。ごきげんよぅの方が、おしゃれだぁ。それにもぅ、お昼になるよぉ。」
慰陽さんの言う通り、現時刻は昼に差し掛かっていた。出発がそれほど早い時間ではなかったからか。
それと会話の開幕からお洒落さを提示されて、幾らか怯む。この人の独特な口調のテンポには波長を合わせられる予感がしない。合わせる努力もしない。
「縁ちゃんも、ごきげんよぅ。」
「…………」
続けて縁にも話しかけた慰陽さんだが、例のごとく縁はそっぽを向いて無言でやり過ごす。やり過ごせていると言っていいものかは難しいところだが。更に詳しく縁の様相を説明すると、慰陽さんと縁を結ぶ直線に対し垂直な方向に視線を向けるという、極めて美しい角度に重きを置く姿勢になっている。その正確無比な反射具合に、慰陽さんも少しは感銘を受けることを薦めたい。慰陽さんは真正面から衝突してくるばかりだから、上手く対面しようとすると疲れる。
「ふふぅ、縁ちゃんったら、恥ずかしがり屋さんなのねぇ。いいわぁ、ワタシもこんな妹が欲しかったわぁ。」
慰陽さんが身勝手な勢いで懲りずに縁へと絡む。縁はどちらにせよ無視を決め込むだろうから、私は別の切り口で慰陽さんに問いかける。
「慰陽さんは、何故ここに?」
「えぇ、見てわかるでしょぅ。散歩だよぉ。五郎丸ちゃんの、お散歩ぉ。ほらぁ、五郎丸ちゃん、あいさつしてぇ。」
慰陽さんが目線を渡した先を見てみると、足元の方に小さな生き物がいた。わん、と慰陽さんの誘導に従ってひと吠えした生命体はブルドッグの近縁みたいな顔をしていて、小さな体と相まって絶妙に滑稽だ。吠えるとその情けない顔面の皮がたぷたぷ弾み、慰陽さんがその頭を掻き撫でると一段と弾力を見せつけてくるので、私の口元も苦笑いという形で震え上がる。
「犬飼ってらしたんですね。」
「そうなのぉ。格好良いでしょ、五郎丸ちゃん。」
触れてなかったけど、この犬は五郎丸と呼ばれているのか。五郎という語感の強靭さと、丸という外見の形容がものの見事に調和していて、実に天晴れな名前だ……とでも思っているのだろうか、慰陽さんは。ところで、五郎丸、か……どこかで聞き覚え、というか言い覚えがあるな。果てしなく無駄な追憶だけど。あと格好良くはないと思う。
心の声とは裏腹に、曖昧な首肯という名の万能薬を慰陽さんに投与して、次なる問いを仕掛ける。
翌朝、予告通り朝食の後に縁と近所を散歩しに外へ出た。まだ低い太陽を視野に入れて、何となく光から逃げるように方向を決める。
「公園までにしようか。」
「うん。」
家からそれなりの距離にある公園までを往復しようという旨を縁に伝える。縁も朝の日差しに目が眩むようで、自然と私の指す方へと足が動いていた。私達が散歩するのは珍しいことではない。これから向かう公園はそれなりの頻度で利用する。特に縁の受験の前は二人で一緒に訪れたものだ。受験の年も縁の気分転換のために数回は来ていたが、それ以前と比べると遥かに少ない。遊び目的で公園に来園したのは、私が中学に入る手前で縁が小学生低学年の頃が最盛期だったかな。あの時代は、私達が通る道、通わす意識、通じる好意に他人の干渉する余地なんて考えもせず、一直線に澄み切った未来を見据えていた。まぁ今も心持ちは大差ない無いつもりなんだけど、ただ言えるのは取り巻く状況と環境が異なる態度を見せつつあるという外観的な変化だ。どうでもいいと言えばどうでもいい。
縁と手を繋いで、暖風にも寒風にも当てはまらない風が半袖の先を掬《すく》うのを知覚しながら公園までの道のりという一種の旅路に慰安を添える。爽快感とは一定以上の距離がある気候の中で柔らかに燃える花火が手のひら中心に展開されて、賛辞や感銘より先んじて授けられる儚さに似た印象を例外的に持続させたと例えられる余情を沈静に受け止めた。要するに、日常的に縁との手繋ぎを経験していても当然心の内側では喜びを隠し切れず
あるはずなのに。
「あぁー!絆ちゃんだぁ!」
慰陽さんが建物の物陰からひょいと顔を出してきた。
全力で集中力を縁に傾けていた私は、予告無しの人物の到来に驚かざるを得ない。
「い、慰陽さん。おはようございます。」
「おはよぅ。というか、こんにちはぁ。いや、ごきげんよぅ、かなぁ。ごきげんよぅの方が、おしゃれだぁ。それにもぅ、お昼になるよぉ。」
慰陽さんの言う通り、現時刻は昼に差し掛かっていた。出発がそれほど早い時間ではなかったからか。
それと会話の開幕からお洒落さを提示されて、幾らか怯む。この人の独特な口調のテンポには波長を合わせられる予感がしない。合わせる努力もしない。
「縁ちゃんも、ごきげんよぅ。」
「…………」
続けて縁にも話しかけた慰陽さんだが、例のごとく縁はそっぽを向いて無言でやり過ごす。やり過ごせていると言っていいものかは難しいところだが。更に詳しく縁の様相を説明すると、慰陽さんと縁を結ぶ直線に対し垂直な方向に視線を向けるという、極めて美しい角度に重きを置く姿勢になっている。その正確無比な反射具合に、慰陽さんも少しは感銘を受けることを薦めたい。慰陽さんは真正面から衝突してくるばかりだから、上手く対面しようとすると疲れる。
「ふふぅ、縁ちゃんったら、恥ずかしがり屋さんなのねぇ。いいわぁ、ワタシもこんな妹が欲しかったわぁ。」
慰陽さんが身勝手な勢いで懲りずに縁へと絡む。縁はどちらにせよ無視を決め込むだろうから、私は別の切り口で慰陽さんに問いかける。
「慰陽さんは、何故ここに?」
「えぇ、見てわかるでしょぅ。散歩だよぉ。五郎丸ちゃんの、お散歩ぉ。ほらぁ、五郎丸ちゃん、あいさつしてぇ。」
慰陽さんが目線を渡した先を見てみると、足元の方に小さな生き物がいた。わん、と慰陽さんの誘導に従ってひと吠えした生命体はブルドッグの近縁みたいな顔をしていて、小さな体と相まって絶妙に滑稽だ。吠えるとその情けない顔面の皮がたぷたぷ弾み、慰陽さんがその頭を掻き撫でると一段と弾力を見せつけてくるので、私の口元も苦笑いという形で震え上がる。
「犬飼ってらしたんですね。」
「そうなのぉ。格好良いでしょ、五郎丸ちゃん。」
触れてなかったけど、この犬は五郎丸と呼ばれているのか。五郎という語感の強靭さと、丸という外見の形容がものの見事に調和していて、実に天晴れな名前だ……とでも思っているのだろうか、慰陽さんは。ところで、五郎丸、か……どこかで聞き覚え、というか言い覚えがあるな。果てしなく無駄な追憶だけど。あと格好良くはないと思う。
心の声とは裏腹に、曖昧な首肯という名の万能薬を慰陽さんに投与して、次なる問いを仕掛ける。

