『妹』
ふざけるな。
ふざけんな。
遠藤慰陽《えんどういよ》、許さない。
わたしとお姉ちゃんの時間を邪魔するんじゃない。せっかくいい流れだったのに。あのまま押し切っていればお姉ちゃんともっと、わたしの口からは言えない様々なことができただろうに。そうした先には輝かしい未来が待ち受けていたはずなんだ。
おのれ遠藤慰陽め。わたし達の未来に干渉してきやがったな。わたしとお姉ちゃんの一直線な進路に分岐点を作ったことの罪深さを認識しているのか。どうやって責任と自分の首を取るつもりなんだ。後者は最悪の場合わたしが手伝ってあげてもいい。部屋に置いてある制服に入れっぱなしの鋭い文房具で。一方で、前者及び遠藤慰陽という名の偽善者はもうどうしようもない。
現実で対面したときは仕方なく敬語を使ってあげているけど、わたしの胸の内でまで遠藤慰陽に心理描写の文字数かけている暇なんて無いんだぞ。わたしの心の容量はお姉ちゃんでいっぱにして、継続的に拡大成長していく予定なんだ。日々更新されていくのだ、わたしの記憶倉庫は。異種が交われば、魂の警告灯が赤く鳴る。赤の他人はあからさまに避けて通る方針の明るい姉妹計画が、わたし達の生きた証となるのです。
携帯を手にしたお姉ちゃんは持ち前の慈悲溢れる高邁《こうまい》の精神を発揮して、わたしとしては騒音にしか聞こえない遠藤慰陽の着信に応答する。
「もしもし。こんばんわ、慰陽さん。」
「……おぉーい、もしもしぃ?……あぁ、絆ちゃん!絆ちゃんだぁ。やっと、やっと出てくれたのねぇ。いくら待っても全然出ないんだもん。もぅ、何かあったんじゃないかなーって心配したよぉ。」
お姉ちゃんが通話をスピーカーモードにしてくれたので、わたしにも遠藤慰陽の甘ったるい声が聞こえてくる。あ、誤解はしないでね。しないでねというか、しないよね。お姉ちゃんはわたしを除け者に(なるわけないけど)するまいと気を配ってくれたことからも容易に分かる甚大な思慮深さを持っているのであって、わたしが只今忌まわしさと厭わしさの被害を受けているのは、安穏と悠々自適な生活を満喫している近所の女子大学生、固有名詞にして遠藤慰陽の存在その他諸々に原因がある他ないから。
遠藤慰陽とは通算二十回にも満たない出会いと別れしかしていないけど、わたし達の間に割って入ることの深刻さを一回毎に痛感してほしい。最近越してきたとはいえ、この土地のルールというものをもっと頭に叩き込んで生活するべき。わたし達には極度に触れず、神聖不可侵のまま見守るというこの町の掟を。わたし達がルールで、他人はレール以下。わたし達が新幹線の乗客とするなら、遠藤慰陽含む雑多な人間達は山の手線の駅のホームに転がっている小石、もしくは改札も通れない残高切れの無益な定期券だよ。ここ一帯は、わたし達が旅乗りするロマンスカーに貼られた光も差さない路線図だね。全部今考えたけど。
「いや、何も……何も、無いですよ。」
言葉に詰まってわたしの方をちらっと見た。見てくれて、安心した。
そこでお姉ちゃんがそばにいるだけで心は安らかになるのでは、と問われれば確かにその通り。でも例を挙げることでその指摘を洗練させてみよう。仮に自分の家のリビングルームに、その役割を十分に果たしているアロマキャンドルがあったとして、同時に自分が少し離れたキッチンルームに立っているものだと仮定したら、遠くから流れてくる微かなアロマの香りを嗅ぐだけで、果たして自分は満ち足りた気持ちになれるのか。否。その芳香の一端でも吸い込めば、自ずと蜜を産む樹幹に近付きたくなるはず。
同じように、お姉ちゃんの存在を見つめるだけでも明媚な営みでありながら、お姉ちゃんと目と目で意思を通信することが叶えばより一層の幸せを掴めるのであーる。具体例と言いたい事が微妙に噛み合わないと思った?えへへ。実はわたしも。
それだけお姉ちゃんの美点(=お姉ちゃんの全て)は説明のしようがないということだね。納得を習得。
お姉ちゃんが、「何か」を起こそうとしたわたしのことを気にかけてくれるのは喜ばしいことで、遠藤慰陽に余分な姉妹事情を伝えない心配りは流石と言いたい。わたしはわたしで、暗黙の中でもお姉ちゃんの心遣いを隈無く察知している。遠藤慰陽は蚊帳の外、近隣の外、宇宙の外に放り出そうとの画策は、言う必要がなくともお姉ちゃんとも共通みたい。
けど、あー、せっかく例え話あたりからお姉ちゃんのお香にも負けない芳醇な香りをイメージしてきたのに、また遠藤慰陽が脳に嫌がらせをしに来た。遠藤慰陽、もういいよ。そう言いたいところだけど、わたし達の電話《たたかい》はまだ始まったばかりだ。遠藤慰陽の次回作(次に言うだろう台詞)にご期待ください。できるか。
「そーなのぉ?よかったぁ。心配して損したぁ。あっでも、もし本当《ほんとぅ》に何かあったら大変だもんねぇ。電話切らないで正解《せーかい》だったぁ。やっぱりワタシ、間違ってないよぉ。」
案の定できなかった。だからどう死《し》た(あなたはそんなんだからどうしようもない。死にたくならないの?の意)と、何だそれは(何だそれは。どんな言い方だ。死にたくならないの?の略)を皮切りとする幅狭い負の感想を頭で綴ることしか、電話の外のわたしには出来なかった。
「それで、何のご用ですか?」
「そうそぅ、そうだったわぁ。ワタシたち今日の夕食にボルシチを作っていたんだけどぉ、作りすぎちゃってぇ。よかったら、食べにこない?それとも、持ってってあげよぅかぁ?」
そんな家畜の餌なんてわたし達の口に入るか。それにボルシチ、だと。洒落っ気を出して料理に精通している自慢のつもりなのか。わたしも作りたい。わたしの手で完成させた高次元な料理をお姉ちゃんに食べさせたい。これはレシピの改良を要するね。
てか、ワタシ、たち?たちって、遠藤慰陽は一人暮らしじゃなかったんだ。てっきり独りで細々とインスタント麺類でも啜っている生活にあると決めつけていたから意外だけど、そもそも大して意中に無かった。意の中の蛙、といったほどに意が無かった。この発言にも意は無かった。
「あー、大丈夫です。もう食べたんで。」
「そおなのぉ?早くない?まだ七時にもなってないよぉ。太陽さんにバイバイしてすぐだよぉ?」
「あの……まぁ、私達が早いってだけです、はい。」
お姉ちゃんは面倒に思ったから一つの会話を断ち切ったんだろうけど、わたしは遠藤慰陽の生活習慣が乱れていることが主な理由だと思うな。少なくともわたし達よりは。自堕落に生きているのは同じ部屋に住んでいるらしき人間にも当てはまることなんだろうね。
「そうだったのぉ。ごめんねぇ、わざわざ電話かけちゃってぇ。」
そう思うんだったらその通話機を今すぐ壊してください。本当に。
「いえ、お電話ありがとうございます。」
お姉ちゃんは窓口サービスに向けられた問い合わせの応答を連想させる言葉並びで対処する。お姉ちゃん、華麗。
「それで用件は終わりですか?」
「んんー、どうかなぁー、他に言いたいことあったかなぁ。最近引っ越したばっかりだから、わからないこともいっぱいあるしなぁ。何か聞いておきたいかもなぁー。」
「じゃあそれはまたの機会ということで。私達もう寝る時間なので。」
「あぁー!待って待ってぇ!」
お姉ちゃんが話を切り上げようとしてくれたというのに、遠藤慰陽の耳障りで絶叫系な声が携帯から広がった。嫌気のあまりにわたしが絶叫したくなる系。
「…………やっぱりいいやぁ。次に会った時でいいよね、うん。おっけい。それじゃぁ、おやすみぃ。そうだ、縁ちゃんにも、よろしくねぇ。」
自己解決をわたし達に押し付ける形で通話の終了をやっと認めた。そして捨て台詞も忘れずに。よろしくって、わたしのこと覚えていたのか。かく言うわたしも、指名手配の要領で遠藤慰陽のことを記憶していたがね。
「はい、それじゃ。」
半ば急ぐように電話を切るお姉ちゃん。急いでくれて、嬉しい。わたしも、早くお姉ちゃんとの時間に戻りたかったよ。
「……ごめんね、縁。時間取らせちゃって。」
お姉ちゃんは、二人の活動を中断した申し訳なさと遠藤慰陽への呆れが混じった溜め息を吐きながら、わたしにお詫びをしてくれる。
「ううん。しょうがないもん。」
遠藤慰陽という名の動く障壁が崩れない限りはね。今日わたしは一体何回「遠藤慰陽」の四文字を挙げたのだろう。言わざるを得なかったんだろう。「お姉ちゃん」を呼ぶ回数より多かったら絶望するぞ。数えてないけど。気分次第では遠藤慰陽を絶命させ……られたらいいな、なんて。って、また呼んじゃった。
「「…………」」
二人して少しの間無言になってしまう。そりゃそうだ。電話の前にあんなことをしていたから。でも今更再開するのは、なんだかなぁって思う。
「明日、散歩にでも行こうか。」
とそこでお姉ちゃんが素敵な提案をしてくれた。このたった数分間、されど数分間の間に表層心理が夜の闇に染まっていったわたしだけど、この提案によってメンタルヘルスが完全に回復できた。心が底の方でぐるぐるしていた感じから、一気に上まで弾む感覚に変わる。
「い、行くっ。」
その心模様を解き放つように、喉から了承と賛成を兼ね備えた音が飛び出す。ポールに繋がれて待ちわびていた犬が、飼い主の登場を見てはしゃぎ回るように。お姉ちゃんのほんの一言でさえも、わたしは救われる。それは前から身に染みて分かっていたこと。
お姉ちゃんはわたしの返事を聞いて、優しく口角を緩ませながら小さく首を頷かせた。「わかった」と言うその仕草に、わたしも少し頬がほぐれる。
「じゃあ、おやすみ。」
携帯を元の位置に戻したお姉ちゃんが、被り直した布団の外から永い一日の終末を告げた。
わたしも、もう寝よう。結局キス以上のことはお預けになったけど、キスでも相当深まったはずだよね。お姉ちゃんとわたしの絆は。
それでは、明日に備えて。
「おやすみ、お姉ちゃん。」
ふざけるな。
ふざけんな。
遠藤慰陽《えんどういよ》、許さない。
わたしとお姉ちゃんの時間を邪魔するんじゃない。せっかくいい流れだったのに。あのまま押し切っていればお姉ちゃんともっと、わたしの口からは言えない様々なことができただろうに。そうした先には輝かしい未来が待ち受けていたはずなんだ。
おのれ遠藤慰陽め。わたし達の未来に干渉してきやがったな。わたしとお姉ちゃんの一直線な進路に分岐点を作ったことの罪深さを認識しているのか。どうやって責任と自分の首を取るつもりなんだ。後者は最悪の場合わたしが手伝ってあげてもいい。部屋に置いてある制服に入れっぱなしの鋭い文房具で。一方で、前者及び遠藤慰陽という名の偽善者はもうどうしようもない。
現実で対面したときは仕方なく敬語を使ってあげているけど、わたしの胸の内でまで遠藤慰陽に心理描写の文字数かけている暇なんて無いんだぞ。わたしの心の容量はお姉ちゃんでいっぱにして、継続的に拡大成長していく予定なんだ。日々更新されていくのだ、わたしの記憶倉庫は。異種が交われば、魂の警告灯が赤く鳴る。赤の他人はあからさまに避けて通る方針の明るい姉妹計画が、わたし達の生きた証となるのです。
携帯を手にしたお姉ちゃんは持ち前の慈悲溢れる高邁《こうまい》の精神を発揮して、わたしとしては騒音にしか聞こえない遠藤慰陽の着信に応答する。
「もしもし。こんばんわ、慰陽さん。」
「……おぉーい、もしもしぃ?……あぁ、絆ちゃん!絆ちゃんだぁ。やっと、やっと出てくれたのねぇ。いくら待っても全然出ないんだもん。もぅ、何かあったんじゃないかなーって心配したよぉ。」
お姉ちゃんが通話をスピーカーモードにしてくれたので、わたしにも遠藤慰陽の甘ったるい声が聞こえてくる。あ、誤解はしないでね。しないでねというか、しないよね。お姉ちゃんはわたしを除け者に(なるわけないけど)するまいと気を配ってくれたことからも容易に分かる甚大な思慮深さを持っているのであって、わたしが只今忌まわしさと厭わしさの被害を受けているのは、安穏と悠々自適な生活を満喫している近所の女子大学生、固有名詞にして遠藤慰陽の存在その他諸々に原因がある他ないから。
遠藤慰陽とは通算二十回にも満たない出会いと別れしかしていないけど、わたし達の間に割って入ることの深刻さを一回毎に痛感してほしい。最近越してきたとはいえ、この土地のルールというものをもっと頭に叩き込んで生活するべき。わたし達には極度に触れず、神聖不可侵のまま見守るというこの町の掟を。わたし達がルールで、他人はレール以下。わたし達が新幹線の乗客とするなら、遠藤慰陽含む雑多な人間達は山の手線の駅のホームに転がっている小石、もしくは改札も通れない残高切れの無益な定期券だよ。ここ一帯は、わたし達が旅乗りするロマンスカーに貼られた光も差さない路線図だね。全部今考えたけど。
「いや、何も……何も、無いですよ。」
言葉に詰まってわたしの方をちらっと見た。見てくれて、安心した。
そこでお姉ちゃんがそばにいるだけで心は安らかになるのでは、と問われれば確かにその通り。でも例を挙げることでその指摘を洗練させてみよう。仮に自分の家のリビングルームに、その役割を十分に果たしているアロマキャンドルがあったとして、同時に自分が少し離れたキッチンルームに立っているものだと仮定したら、遠くから流れてくる微かなアロマの香りを嗅ぐだけで、果たして自分は満ち足りた気持ちになれるのか。否。その芳香の一端でも吸い込めば、自ずと蜜を産む樹幹に近付きたくなるはず。
同じように、お姉ちゃんの存在を見つめるだけでも明媚な営みでありながら、お姉ちゃんと目と目で意思を通信することが叶えばより一層の幸せを掴めるのであーる。具体例と言いたい事が微妙に噛み合わないと思った?えへへ。実はわたしも。
それだけお姉ちゃんの美点(=お姉ちゃんの全て)は説明のしようがないということだね。納得を習得。
お姉ちゃんが、「何か」を起こそうとしたわたしのことを気にかけてくれるのは喜ばしいことで、遠藤慰陽に余分な姉妹事情を伝えない心配りは流石と言いたい。わたしはわたしで、暗黙の中でもお姉ちゃんの心遣いを隈無く察知している。遠藤慰陽は蚊帳の外、近隣の外、宇宙の外に放り出そうとの画策は、言う必要がなくともお姉ちゃんとも共通みたい。
けど、あー、せっかく例え話あたりからお姉ちゃんのお香にも負けない芳醇な香りをイメージしてきたのに、また遠藤慰陽が脳に嫌がらせをしに来た。遠藤慰陽、もういいよ。そう言いたいところだけど、わたし達の電話《たたかい》はまだ始まったばかりだ。遠藤慰陽の次回作(次に言うだろう台詞)にご期待ください。できるか。
「そーなのぉ?よかったぁ。心配して損したぁ。あっでも、もし本当《ほんとぅ》に何かあったら大変だもんねぇ。電話切らないで正解《せーかい》だったぁ。やっぱりワタシ、間違ってないよぉ。」
案の定できなかった。だからどう死《し》た(あなたはそんなんだからどうしようもない。死にたくならないの?の意)と、何だそれは(何だそれは。どんな言い方だ。死にたくならないの?の略)を皮切りとする幅狭い負の感想を頭で綴ることしか、電話の外のわたしには出来なかった。
「それで、何のご用ですか?」
「そうそぅ、そうだったわぁ。ワタシたち今日の夕食にボルシチを作っていたんだけどぉ、作りすぎちゃってぇ。よかったら、食べにこない?それとも、持ってってあげよぅかぁ?」
そんな家畜の餌なんてわたし達の口に入るか。それにボルシチ、だと。洒落っ気を出して料理に精通している自慢のつもりなのか。わたしも作りたい。わたしの手で完成させた高次元な料理をお姉ちゃんに食べさせたい。これはレシピの改良を要するね。
てか、ワタシ、たち?たちって、遠藤慰陽は一人暮らしじゃなかったんだ。てっきり独りで細々とインスタント麺類でも啜っている生活にあると決めつけていたから意外だけど、そもそも大して意中に無かった。意の中の蛙、といったほどに意が無かった。この発言にも意は無かった。
「あー、大丈夫です。もう食べたんで。」
「そおなのぉ?早くない?まだ七時にもなってないよぉ。太陽さんにバイバイしてすぐだよぉ?」
「あの……まぁ、私達が早いってだけです、はい。」
お姉ちゃんは面倒に思ったから一つの会話を断ち切ったんだろうけど、わたしは遠藤慰陽の生活習慣が乱れていることが主な理由だと思うな。少なくともわたし達よりは。自堕落に生きているのは同じ部屋に住んでいるらしき人間にも当てはまることなんだろうね。
「そうだったのぉ。ごめんねぇ、わざわざ電話かけちゃってぇ。」
そう思うんだったらその通話機を今すぐ壊してください。本当に。
「いえ、お電話ありがとうございます。」
お姉ちゃんは窓口サービスに向けられた問い合わせの応答を連想させる言葉並びで対処する。お姉ちゃん、華麗。
「それで用件は終わりですか?」
「んんー、どうかなぁー、他に言いたいことあったかなぁ。最近引っ越したばっかりだから、わからないこともいっぱいあるしなぁ。何か聞いておきたいかもなぁー。」
「じゃあそれはまたの機会ということで。私達もう寝る時間なので。」
「あぁー!待って待ってぇ!」
お姉ちゃんが話を切り上げようとしてくれたというのに、遠藤慰陽の耳障りで絶叫系な声が携帯から広がった。嫌気のあまりにわたしが絶叫したくなる系。
「…………やっぱりいいやぁ。次に会った時でいいよね、うん。おっけい。それじゃぁ、おやすみぃ。そうだ、縁ちゃんにも、よろしくねぇ。」
自己解決をわたし達に押し付ける形で通話の終了をやっと認めた。そして捨て台詞も忘れずに。よろしくって、わたしのこと覚えていたのか。かく言うわたしも、指名手配の要領で遠藤慰陽のことを記憶していたがね。
「はい、それじゃ。」
半ば急ぐように電話を切るお姉ちゃん。急いでくれて、嬉しい。わたしも、早くお姉ちゃんとの時間に戻りたかったよ。
「……ごめんね、縁。時間取らせちゃって。」
お姉ちゃんは、二人の活動を中断した申し訳なさと遠藤慰陽への呆れが混じった溜め息を吐きながら、わたしにお詫びをしてくれる。
「ううん。しょうがないもん。」
遠藤慰陽という名の動く障壁が崩れない限りはね。今日わたしは一体何回「遠藤慰陽」の四文字を挙げたのだろう。言わざるを得なかったんだろう。「お姉ちゃん」を呼ぶ回数より多かったら絶望するぞ。数えてないけど。気分次第では遠藤慰陽を絶命させ……られたらいいな、なんて。って、また呼んじゃった。
「「…………」」
二人して少しの間無言になってしまう。そりゃそうだ。電話の前にあんなことをしていたから。でも今更再開するのは、なんだかなぁって思う。
「明日、散歩にでも行こうか。」
とそこでお姉ちゃんが素敵な提案をしてくれた。このたった数分間、されど数分間の間に表層心理が夜の闇に染まっていったわたしだけど、この提案によってメンタルヘルスが完全に回復できた。心が底の方でぐるぐるしていた感じから、一気に上まで弾む感覚に変わる。
「い、行くっ。」
その心模様を解き放つように、喉から了承と賛成を兼ね備えた音が飛び出す。ポールに繋がれて待ちわびていた犬が、飼い主の登場を見てはしゃぎ回るように。お姉ちゃんのほんの一言でさえも、わたしは救われる。それは前から身に染みて分かっていたこと。
お姉ちゃんはわたしの返事を聞いて、優しく口角を緩ませながら小さく首を頷かせた。「わかった」と言うその仕草に、わたしも少し頬がほぐれる。
「じゃあ、おやすみ。」
携帯を元の位置に戻したお姉ちゃんが、被り直した布団の外から永い一日の終末を告げた。
わたしも、もう寝よう。結局キス以上のことはお預けになったけど、キスでも相当深まったはずだよね。お姉ちゃんとわたしの絆は。
それでは、明日に備えて。
「おやすみ、お姉ちゃん。」

