「実は……」と八重はとても言いづらそうにしていた。それを見て俺は察する。
「あーわかったわかった。アレだろ。熟年離婚かご近所トラブルかなにかだろ。八重の年齢の人は大体そう……」
「ふふ、違うわよ」
「………」
俺の勘は何故だかいつも外れる。俺は再び絵馬を手に取って、空白の部分を指さした。
「じゃあ、なんでなにも書かないんだ?」
「書かないというより……書けないのよ。相手の名前が分からないから……」
「は?分からない?」
思わず強めに聞き返してしまった。
「だって縁を切ってほしい相手はこの家に住み着いてる幽霊なんですもの」
「………」
空調が聞こえてきそうなほど、無言の沈黙。俺はポリポリと顔を掻いて、もう一度問う。
「え?なに?幽霊?」
「そう、幽霊さん」
いや、〝さん〟を付けられても……。
君島八重の年齢は63歳。数年前に旦那が亡くなってからはずっとこの家でひとり暮らし。
そして少し前から家の中で起きる奇妙な出来事に悩まされているらしい。無言電話がかかってきたり、屋根裏部屋から足音が聞こえたり。
朝起きると自分の頬が汚れていたこともあって、気味が悪くてゆっくりと寝ていられないんだとか。
「誰にも相談できなくてずっと悩んでいたの。そんな時、風の噂でエニシさまのことを知って……」
「………」
「だからお願いします。幽霊との縁を切ってください」
俺は再び深いため息をついた。



