「極楽極楽……。」



なんで湯船に浸かると、心の中でこう呟いてしまうのだろう。極楽って言葉を聞くと、天国にいるってイメージしか浮かばない。でも、ここは天国じゃなくて、ただのお湯を張った大きなお風呂だ。天国はそんなところじゃないと思う。



そう言えば、どうして電話をする時、「もしもし。」って言ってしまうのだろう。普通に名前を名乗るとか、「はい。」でいいのに。もっと言えば、PHSと携帯電話の違いってなんだろう。携帯電話は日本語なのに、どうしてスマートフォンは英語なんだろう。世の中不思議なことだらけだなあって思う。



でも、そんなことはどうでもいい。知れたらいいなくらいにしか思っていない。私にはずっと引っかかっていることがあった。それは健司が自分の過去の恋愛を語っている時に、私のことを「西田りさ」と呼んだことだ。



どうして健司は私のことを「西田りさ」ってフルネームで知ってたんだろう。「りさ」ってことは、記憶をなくした後の健司にもちゃんと言った。でも、「西田」って苗字は言わなかった。



部屋のどこかで私のフルネームが書いてあるものでも見つけたのだろうか。例えば、公共料金の請求書とか……。いや、それはない。私が健司から目を離したのは、宅配ピザを取りに行く間だけで、両手を縛られている状態で、そんなことがとてもできるとは思わない。



そして、もう一つ疑問がある。健司はフリーターだって言ってた。でも、どうやって生活をしているんだろうか。実際は仕事をしているのか……。いや、それもない。健司は私の家にもう2日もいる。正社員だったら、とっくにクビになっている。



健司が盗撮カメラを仕掛けてから、不思議なことばっかりが続く。まるで、止まっていたクォーツ腕時計の針が、正しい時刻を合わせるためにくるくると回っているように目まぐるしい日々だった気がする。でも、その腕時計の針がやっと正常に動き出した。このままのスピードで時を刻んでいくんだと思う。