鎖骨を噛む






二人がこんなに楽しいとは思わなかった。二人でなんでもないようなことをすることに飢えていたんだと思う。上京する前は、家族で暮らすのが嫌だった。自分のタイミングでお風呂に行きたかったし、自分のタイミングで好きなものを食べて、自分のタイミングで寝て、起きたかった。朝のトイレの順番待ちも、洗面台で父さんが髭を剃っているのも嫌だった。一人暮らしがしたいと中学の時からずっと思っていた。そして、念願の一人暮らしをすることができた。でも、そこには確かに自由もあったけど、それと同時に私のどこかにぽっかりと穴が空いたような気がした。家族に会いたいわけじゃない。でも、寂しかったんだ。大都会東京の街に飲み込まれそうな気がして、怖かったんだ。誰にも頼ることができず、孤独と孤独に戦ってきた。その戦いも終わった。このピザの味は、そんな戦いとのお別れの意味も込められているような気がした。



健司は換気扇の下で、タバコを吸いながら、「吸い終わったらお風呂に入る。」と言った。朝だけ入る私とは違って、健司は確か『ムルソー』と名乗っていた時、1日置きに入るって言っていた気がする。今朝入ったんだから、今日の夜は入らないはずなのに、おかしいなとおもいながらも私は、いつもは溜めない湯船を溜めようと、お湯を捻って、それからあることを思い立って、止めた。



「健司、どうせなら銭湯行かない?」



「銭湯?」健司は昨日私が作ったペットボトルに水の入った灰皿にタバコの灰を落とした。



「オレ、遠くまで歩くの嫌だよ? 湯冷めするし。」



「そんなに遠くないの。ここから歩いて5分もかからないところに銭湯があるんだー。バイト行く時に前をいつも通るんだけど、昔ながらって感じがして、いいかもよ!」



「昔ながらかあ……。」健司は意外にも渋った。



「どっちでもいいけどさー、温泉デートするカップルってどう思う?」



「温泉デートするカップル? いいんじゃない? 定番だし。」



「でもさー、温泉って入る時は、別々だろ? 『男』って書かれたのれんをくぐった先は、オレの知らない赤の他人ばっかりですよ。それって、結局、一人で温泉に来たのと変わらなくない?」



「でも、部屋によっては、お風呂付きのところもあるじゃん?」



「そもそもカップルで一緒にお風呂に入って楽しいか?」



あー、それはわかる気がする。カップルでお風呂に入っても全然楽しくなさそう。イチャイチャするのもいいのかもしれないけど、私はどっちかと言うと、これこそ自分一人の時間を大切にしたい時だ。ゆっくり一人で温泉に入りたいし、ゆっくり一人で何かを考えたいし、ゆっくり一人で一日の疲れを洗い流したい。一緒に入っても何も楽しいことなんてない気がする。



「じゃあ、銭湯は行かない?」



「もちろん、行く!」



お茶目に笑って健司がタバコの火を消した。傍から見れば、「なんでやねん!」とつっこまれそうだけど、私はなんだかんだ言って、健司のこういうノリのいいところが好き。