香水の匂いがきついのは苦手だ。


振りまけばいいというものではないのは常識だと思っていたが、彼女はそれを知らないのだろうか。


「生徒さん達にどうしてもって頼まれましてね。
皆さん、伊藤先生の演奏を聞きたいそうですよ。」


ニコニコと見え透いた嘘を言う音楽教師に、俺もニコニコと答える。


嘘だと分かっている事も、香水が臭い事も、全部隠し通して。


「そうですか…困りましたね。
僕もここ半年ぐらい弾いてないから、皆の期待に応えられるかどうか…」


「伊藤先生なら大丈夫ですよ。
さあ…あら、皆さん、何処に行ったのかしら。」


生徒が待っているからと連れてこられた音楽室からは、物音一つしない。


当たり前だ、誰もいないのだから。


「おかしいわね…伊藤先生の都合の良い時間はちゃんと伝えたはずなのに。
伊藤先生もお忙しいのに。」


「また今度にしましょうか。
観客がいないのに弾くのも寂しいですから。」


音楽室の前に置かれたチェロが虚しそうに佇んでいる。


俺に弾かれるためだけに買われたのだろうが…俺がいなくなったら、処分されるのだろうか。


「あら、せっかく来てくださったのに…よろしければ、一曲だけでも弾いていかれませんか?
半年程弾いてないって仰ってましたけど、次に生徒さん達の前で弾く練習だと思って。」


妙にフリルの多い服を着た女が、媚を売るようにこちらを見てくる。


こういう時に限って誰もいないのは、今が期末試験の部活禁止期間に入ったばかりだからだ。


俺と二人になりたいと思ってやったのは最初から目に見えていたが…ここまで子供騙しのような事をされると、かえって清々しい。


この女を殴れたら、もっとせいせいするんだけどな。