諦めるしかない、でも諦めたくない。そんな葛藤をしていたら、いつの間にか、廊下に溢れていた人たちはほとんどいなくなっていた。
 携帯で時刻を確認すると、ここに来てからもう一時間以上経っている。

 ようやく移動しようという気分になって、一歩踏み出す、と。

「カコちゃん?」

 誰かがわたしの名前を呼んだ。振り返った先にいたのは健一先輩、ではなく、同じバンドの梅原先輩だった。

「どうした? 産卵前のウミガメみたいな顔してるよ」

「ひどい……」

 言うと梅原先輩は笑って、わたしの頭を優しく撫でた。

「もしかして、健一探してる?」

「え?」

「屋上にいるよ。今までみんなで一緒にいたから」

「でも……屋上って立ち入り禁止じゃ……。どうやって入ったんですか?」

「ふっふっふ。我が軽音部には、先輩方から伝わる秘密の鍵があるのだ」

「え、それ大丈夫なんですか?」

「さあ。でも良い避難場所にはなる。金子なんて今朝登校早々、知らない子にボタンむしり取られそうになったって怯えてるし。健一は上靴の靴紐すり替えられたし。俺は俺で、ロッカーに入れっぱなしだった漢和辞典がなくなってた」

「梅原先輩のは普通に盗難事件ですよね……」

「まあでもこれから使う機会もないだろうし、使うときはまた買えばいいし。何より重くて持ち帰りたくなかったし、いいよ。良かったらカコちゃん、部室に置いてある国語と日本史の資料集あげるよ」

「自分のがあるのでいりません」

「だよなあ」

 梅原先輩がふっと笑って、わたしもつられて笑う。萎んでいた気持ちが、ぎりぎりで持ち直した気がした。
 そうしたら梅原先輩はわたしの背後に回り、「行ってみなウミガメちゃん」と失礼なことを言いながら、背中を強く押した。

 その勢いのまま、梅原先輩の励ましに応えるよう、わたしは誰もいなくなった廊下を走り出したのだった。