そろそろ恋する準備を(短編集)



「岸先生って、彼女いないんですか?」

 綺麗な所作で箸を進めながら、榛名が突然、そんなことを言った。

「い、いないよ」

 好きな子はいるけど……とは言えず、苦笑いをして味噌汁を啜る。

「勿体ないですよ! 英語ぺらぺらだし、家事も炊事もできるし、大人だし、部屋のインテリアも素敵だし」

「……ほ、褒めても点数はあげないぞー!」

 好きな子に褒め殺しにされ、照れ隠しに言ったつもりだったのに、榛名は「ちっ……」と舌打ちをする。ああ、点数目的で褒めただけなのね! ああ、そうだった! 榛名はいつも、思わせぶりな台詞でオレを惑わすんだった!


「でも本当に勿体ないですよ」

「まあ、先生も作りたいんだけど、なかなか、ね……」

「出会いとかないんですか?」

「ないねぇ……。基本学校と家の往復だし。休日も部活で、家帰っても授業の準備したりで……」

「合コンとか行かないんですか?」

「学生の頃は行ってたけど、最近は全く……」

 くすりと笑って上目遣いでオレを見上げた榛名は「じゃあ、」と切り出した。


「じゃあ、わたしがなってあげますよ、彼女に」

「……え?」

「わたし、岸先生のこと好きですから」

「……」

 榛名は、やけに真面目な顔をしていた。
 でも、でも騙されるな。オレが考えている「好き」と、榛名が言う「好き」は違うのだ。

「……せ、先生をからかってんのかぁ?」

「からかってないですよ」

「そんなこと言っても、点数も単位もあげられないからな!」

「点数も単位もいりませんよ」

 榛名が箸を置く音が、部屋に響いた。テレビはついている。ゴールデンタイムのバラエティー番組で、タレントたちが賑やかな声を出しているのにも関わらず、テーブルに置かれた箸の音が、なぜこんなに響いて聞こえるのか……。なぜ榛名はこんなに、真面目な顔をしているのか……。

 駄目だ。
 オレは先生。榛名は生徒。進んじゃ、駄目だ。この言葉を、オレの都合の良いように解釈して、暴走してはいけない。