ブッ。

 近づけた顔に奥村の両手が当たって阻まれた。
 南田はズレてしまった眼鏡を押し上げて心外だと言わんばかりに声を上げた。

「何故だ…。」

「そうやって誤魔化そうなんて!」

 しばらくの沈黙の後。
 今度はズレていない眼鏡を押し上げた。

 誤魔化すのではなく明確にするつもりだったのだが。

「そのようなことはしようとしていない。」

「じゃ何を…。」

 手をつかみ、その指先を自分のくちびるに触れさせた。

「あのような物がなくても僕を所望して欲しい。」

 君は僕のものだが…無論、僕は君のものだ。

 奥村の顔が赤くなっていくのを確認する。
 言葉に詰まっている奥村に南田は言葉を重ねた。

「改めて契約を締結したい。」

 まずは契約だ。
 僕たちの関係はやはりそれに尽きる。
 それにしても…。

「体がにわかに硬直をしている。
 手の震えもある。
 緊張が現れているようだ。
 …しかし外での認証と違い、マンションなら一瞬で終わる。嫌な思いなど…。」

 やはり認証することが苦手なのだろうか。
 それならば強要するのは大人げないのか…。

 真剣に奥村のことを考えているのに、奥村はクスクスと笑っている。
 それはやはり解せない笑い方で、怪訝そうな顔を奥村に向けた。
 無表情など取り繕っていられない。

 すると笑っていた奥村の手が伸びてきて、南田の服をそっと引っ張った。

 ピッ…ピー。認証しました。

「な、何故だ…。」

 離された南田の顔は真っ赤になり、驚いた顔の奥村を視界にとらえた。
 南田は片手で顔を覆いながら動揺を悟られまいと、意味不明な言葉を口から転がり落とす。

「…今の行動は契約事項に反する。
 契約の第三条、契約者は契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。
 よって…。」

 またクスクス笑う奥村によって南田の言葉は遮られた。
 顔はまだ若干熱い気がするが、顔から手を退けると不満な視線を送った。

「何がおかしい…。」

「いえ。
 まだ契約を結び直しては無いんじゃないですか?」

 またそんなことを…。
 ではどうして自ら認証などしたのか簡潔に述べることを希望する。

 恨めしげな視線を向けてみても楽しそうな奥村に、まぁいいか。と思うことにした。