声をかけられた通りに認証をしようと機械の前に立った奥村が困惑した声を出した。

「これ…。
 私じゃパスワード分かりません。」

 機械は家族向けの自宅用で、家族の指紋認証を事前にしておけば、認証範囲の届くところでキスをするだけで認証された。

 わざわざ機械に毎回指紋認証する必要がなくファミリーに好評な機械だ。

 来客などへのセキュリティのためにパスワードを入れる必要がある。
 その安全面でも評価が高かった。

「あぁ。入力しよう。」

 南田は機械のところまで来ると入力した。奥村はそれを見ないようにわざわざ背を向けた。

 そういうところが…。
 いや今はそういうのはいいんだ。

「そんな大事な機械に家族でもなんでもない私が登録しちゃって大丈夫なんですか?」

「律儀だな。君は。」

 手を取り…認証と登録をした。
 登録の名前は奥村華と入力した。

 奥村の視線が外れたのを確認してから、機械に表示される名前を愛おしそうにそっとなぞった。

「ここは父の所有するマンションだ。」

「なおさら…。」

 戸惑う華を一瞥するとまたソファへ戻る。

「父は建築士でね。
 ここは父が設計したマンションなんだ。
 いちユーザーとして使い心地を確認して欲しいと言われて住んでいるだけだ。」

 迷惑な話だ。…今まではそう思っていた。

「家族を対象にしたマンションだ。
 僕では…僕だけでは使い心地など分かるはずもない。
 君は…ここに住む気は…。」

 奥村さんがここに通ってくれる、もしくは住んでくれるのなら、父の要望もありがたいことになるが…。

「ないです!」

「そうか…。」

 やはり迷惑をしているのだ。
 それはそうだ。元々が無理矢理の契約…。

 奥村さんが進んでここに来たわけではない。

 楽しみにしていたプレゼントを取り上げられた子どものような気持ちで朝の浮かれ気分は沈んでいってしまった。

 帰る勢いだった奥村はそのまま機械の近くに立ったままだった。

「突っ立ってないで着座すればいい」

 ソファを指して滞在を促す。

「せっかく認証も終わった。
 この後…今日1日は緊張することもない。」

 認証も何も関係なく、ここに来て良かったと思ってもらえるだろうか。

 ソファに座った奥村を目の端にとらえて南田は思い悩ませていた。