まだ黙っている奥村に南田は思い切った行動に出た。
 ポケットから出した物を奥村の前に置く。

 鍵だ。

 顔を上げた奥村は驚きの表情を浮かべていた。
 クルクルとよく変わる表情が可愛らしい。

 しかしまだ見たい顔は見られていなかった。

「僕のマンションの鍵だ。
 毎度の外食を杞憂するなら、マンションに来臨してくれて構わない。」

「それは…さすがに…。」

 そうか。さすがに思い切り過ぎたか。
 だが誤解がないように補足しておかなければ。

「君の捕食は予定していない。
 杞憂は不要だ。」

 そう言って鍵を自分のポケットにしまいながら続けて口を開いた。

 自分でも思わぬ行動に出ると思わぬ結果を招く。
 奥村さんといると自分を見失うことが多々ある…。
 注意しなければ。

「スペアは家だ。失念していた。
 これを渡したら僕の帰宅が困難になる。」

「…プッ。」

「何がおかしい。」

「だって…。」

 またその笑い方…。その顔ではないんだ。

 そう思っていた南田の視界の中で奥村の表情が変わる。

「分かりました。
 今度おうちにお邪魔させてくださいね。」

 ニコッと笑った奥村に考えるよりも早く彼女の頭に手を回し引き寄せた。

 そして衝動的にくちびるを重ねる。

 しかし、まずい…と気づき急いで手を取って機械に触れさせた。

 ピッ…ピー。「認証しました」

 口に手を当ている奥村は顔が赤くなっていた。

「な…。どうして。」

 1日に何度も認証しても意味がないことは百も承知だ。

 思わずなどと…。

「緊張をほぐすためだ。」

 まずい…。本格的にまずい…。

「ほぐれない!」

 奥村が不満を口にする。

「耐性をつけたら緊張しないだろ?」

 とにかく早急にこの場から退散しなければ。

 たいせい…。ブツブツ言っている奥村に
「慣れろってことだ」
 と言い残してその場を去った。

 個室のドアを後ろ手で閉める。
 気が緩むと急激に顔が赤くなるのを感じた。

 あの顔だ。あの笑顔を僕に向けた。

 南田は熱い顔を押さえながら店の外に向かった。

 店の外に出ると刺すような寒さで顔の熱は奪われていく。
 そのうち店から出てくるであろう奥村に動揺を見られるわけにはいかなかった。