体がほとんど動かなくなり、機械を通した会話ばかり上手くなっている。今の俺ができる唯一のことだ。自力で移動ができないので、入浴や排泄など、生活の全てに他人の力を借りなければならない。時々微量の飲みものなどを味わうことはあるが、口から食事を摂ることもできない。

奏は前から来てくれていたが、最近は愛もほぼ毎日会いに来てくれる。俺は日々、それを楽しみに生きている。

こんな毎日を過ごすようになるまでの時間は、思っていたよりかなり短かった。

初めて体に違和感を覚えたのは高3の秋頃だった。その頃は疲れやすくなったと感じた。

冬になれば、愛の家で移動させようと持ち上げたソファの片側を落としたり、さらには未開栓のペットボトルの蓋を開けるのも難しいと感じるようになった。

ペットボトルの蓋を開けにくいと感じているのを奏に気づかれ、後にいろいろ訊かれた。その頃に感じていた体の変化を彼に話すと、病院に行くことをすすめられた。

俺はそんな大袈裟なものじゃないと言ったが、高校を卒業したら病院へ行くことを約束させられた。


高校卒業後、検査入院の末に病気の疑いがあると言われた。知名度と就職率が高いという理由で入学した大学は、移動手段が車椅子になった頃に退学した。車椅子になってからも何度か通ったが、なにかと大変なことが増えたのだ。大学を辞めた頃は全てを失った気になった。


病気の疑いがあると言われてからは、奏の世話になりっぱなしだった。愛に病気のことを話さないという俺の意思を変えたのも彼だったし、追い返したあとに愛に連絡をさせたのも彼だった。

それからというもの、奏には食事に関しても助けられた。彼が家からいろいろな果物を持ってきてくれたのだ。最初はりんごなどの硬めのものもくれたが、症状が進んでからは桃やぶどうなどの柔らかいものをくれた。