ふっと現実に引き戻された杏は、目の前のおじいちゃんに詰め寄る。

「どうしてエルは私に罪だと分かってて天界の食べ物を…。」

「それは自分も母を失っておったからじゃないかのぅ。
 放っておけなかったんじゃろ。
 おぬしは今にも消えそうじゃったからな。」

 確かに寂しくて寂しくて消えてしまいそうだった。

 もしかしてエルも同じ気持ちだったのかな。
 アパートに転がり込んでから何かと寂しがるエルを思い出す。

「エルは約束を覚えてて会いに来てくれたの?
 そんなこと一言も…。」

 おじいちゃんは首を振った。

「おぬしも忘れてたおったように、エルも罰を与えられた時にこのことは忘れさせられたよ。
 覚えておるのは罪を犯したこととその内容くらいじゃ。
 誰にとは覚えておらん。」
 おじいちゃんはまたお茶をすすると「うまい茶じゃの」とのんきに笑った。

「でも三十歳に会いに来たわ。どうして?」

 杏は聞きたいことが多過ぎて何から聞いていいのか分からないほどだ。

「さぁのぉ。偶然じゃよ。」

「それにどうして今頃になって消えてしまったの?
 ううん。別の罪って言ってたわ。別の罪って。」

 お茶をすすりながら片目で杏を見るとまた目をふせた。

「人間に心惹かれてしまったからじゃ。
 …おぬしじゃよ。お嬢さん。」

「私?私のせいで…。」

「罰は免れられぬ。
 天使には永遠の命が与えられておるが、それが奪われるんじゃ。」

「じゃぁ…。死?」

 ドクンと心臓が痛い。

「そうじゃ。堕天使でも悪魔でもない。
 つまりもう会うことはないじゃろ。」

「そんな…。」

 ショックを受ける杏におじいちゃんは続けた。

「あと急に朝ごはんを作ったり、見られなかった赤い糸を見たりしたじゃろ?」

 こくりとうなずく杏におじいちゃんはやれやれとまた首を振るとパチンと指を鳴らす。
 すると目の前に焼きたてのトーストが出てきた。

「わしはこんなもん朝メシ前じゃが、力を与えられんかったもんが使うには何かと引き換えにせねばならん。」

「もしかして…。」

 嫌な予感がする杏はおじいちゃんをすがるように見た。

「そうじゃ。天使の力を命と引き換えに借りているだけじゃ。
 あんまり使い過ぎると…のぅ。」

 罪を犯したことと朝ご飯を作ったり赤い糸を見たせいでエルは消えてしまったというのか。

「どうして?どうしてそんなことするの?」

 教えて欲しかった。ずっと一緒にいたいって言ってくれた。
 運命の人を僕にしませんか?の言葉も本当だったということだ。
 それなのに。

「それは決まっておるじゃろ?
 おぬしに…運命の相手を見つけてやりたいからじゃ。」

 聞き飽きた言葉に腹を立てる。

「運命、運命って!そんなことどうでもいいのに。
 エルに…エルさえ側にいてくれたら。
 天使と人間の恋が大罪というのならそんなことは望まない。
 ただただ側で笑っていてくれたら。」

 消えてしまうなんて…。そんなのあんまりだった。

「そしておぬしの命が尽きて消えてしまってもなお生き続けておけと言うのか?
 なかなか残酷じゃな。」

「…。」

 何も言い返せなかった。

 そんなつもりじゃなかった。でも結果的にそうなってしまう。

「仕方ないがのぅ。天使とはそういう務め。」