え…どうして。

 愕然とした杏はよろよろとしながらもアパートへ逃げるように駆け出した。

 後ろから「杏さん!待って!」と声がしても振り向くことはなかった。何度もよろめいて転びそうになりながら先を急ぐ。

「待ってって言ってるでしょう?」

 手をつかまれても杏は振り向きもせず背中を向けたまま言葉を絞り出した。

「別に構わないわ。エルが誰と会おうと。彼女を置いてきちゃダメじゃない。」

 走って息があがる杏とは対照的に走ってきたはずなのに呼吸も乱れていないエルは冷静な声を出す。

「杏さんは誤解しています。」

 誤解って…。あれはどう見たって…。

「言い訳しなくてもいいのに。それにわざわざ私に先輩の家に泊まりますなんて嘘をつかなくても。…好きな子が出来たからって言えば…。」

 エルの隣に座っていたのは、よりによって結菜だった。

 やっぱり男は誰でも小さくて可愛い女の子らしい子が好きなのだ。

 圭佑の隣にいた結菜ちゃん…その傷をえぐってもいいと思えるくらい私よりも結菜ちゃんが大切なのね。

 今までの色々が全て裏切られた気がして、でもそれは自分が勝手に思い描いていたものだったのかと気持ちはぐちゃぐちゃになる。

 それに今朝の「運命の人を僕にしませんか。」という言葉はなんだったんだろう。

 やっぱり幻だったのか。それとも私を騙したかったのか、からかいたかっただけってことか…。

「だから待ってください。ここでは話せないのでアパートに行かせてください。ダメって言っても行きます。」

 有無を言わさずに力強く握った手をつかんだままアパートに向かう。
 振り払いたくても力ではかなわない。やっぱりエルは男なんだと再認識させられる。

 アパートのドアの前に連れてこられても杏は往生際悪く鍵を開けないでいた。

「杏さん!」

「…。」

 エルと目を合わせないように、じっと下を見る。

 アパートの廊下のグレーがどん底の哀しみまで杏を引きずり落としていくようなそんな色にさえ見えた。

「杏?いい加減にしないと無理矢理でも言うことを聞いてもらう。」

 急に顔が豹変すると杏を壁に押し付けた。そしてあごをつかんで強引に自分の方へ押し上げる。
 自由を奪われ、近づいてくるエルの顔になす術がない。

 いつもの優しいエルじゃなかった。前に部屋でキスされるかと思った時とは比じゃない。

 もっと冷酷で非道な有無を言わさないエルは別人のようだ。
 虫けらを扱うような乱暴な強引さにガクガクと足が勝手に震え始めた。

「や…やめて…。」

 震える声でエルに訴える。エルの瞳に怯える自分の顔が見えた。