杏の唇に何かが触れる。そしてそれはそのままふれたままだ。

 うそ…え?これって…。

 目を開けるとエルの…エルの手が顔の近くにあった。そして指が二本。

 指が…。指?エルがその二本の指を杏の唇から離すとその先にあるニヤッと笑ったエルと目があった。

「アハハハッ。やーい。騙された。」

「何よもう!」

 真っ赤になる杏を再び抱きしめると諦めることを知らないのか、まだエルはお風呂のことを言う。

「そんな夢みたいなこと言ってないで現実で楽しいことしましょうよ〜。」

 何よ。今のいたずら完全スルーなわけ?

 納得できない杏だったが、自分で掘り返すのも馬鹿らしくて、壊れそうに早い胸の鼓動も、爆発するんじゃないかと思えるほどの顔の赤面も無視することにした。

 ちょうど抱きしめられて顔をエルに見られないのは好都合だった。

「一緒にお風呂に入ったって楽しくない!」

 何を言ったら諦めてくれるのか杏にはもう思いつく気がしない。

「楽しいですよ〜。水の掛け合いっことか、どっちが水の中で長く息を止められるか競争とか。」

 相変わらずの発言にだんだんと冷静になる。

 分かった。頭の中は小学生なのね。無邪気すぎる物言い、行動。全てが納得できる答えだ。

 そういう意味で天使よね。ピーターパンさながらの永遠の少年って感じ。
 外国生活が長かったせいかと思ってた(勝手に)けど、ネバーランド生活が長かったのね。

「海に遊びに行ったら楽しいよ。絶対に可愛い水着にしてくださいよ。
 そしたら杏さんに気づかれないように後ろから紐をシュルシュル〜って取るんです。
 そしたら杏さんがキャッって。」

「本当に小学生だわ…。」

 ドキドキして馬鹿みたい。

「え?何か?」

 無邪気な顔のままのエルは杏の表情の変化に気づかない。

「そうね。わたしがキャッってなかったらエルは頬にヒトデをくっつけるってことね。」

「え〜頬にヒトデなんて嫌だな〜。」

「何をのんきなこと言ってるのかしら。分からないの?」

 腕の中から離れた杏のにっこりした目は冷たくて、そっとエルの頬に杏の手が触れた。

「ほら。ここにヒトデって言ったら分かるでしょう?」

 バチンッということだ。

 サーッとエルの笑顔も消えて、壊れそうに首を横に振ることになった。

 この日、いたずらが過ぎたエルは杏をこれ以上怒らせないために静かに過ごすことになった。

 たまに見せる凛々しい姿はなんなのかしらね…。外で他の人もいる時に会った時とかの。二人でいる時は基本へたれなのに…。

 そんな素朴な疑問が浮かびつつも、睡魔には勝てなかった。疑問もそのまま夜の闇に紛れてしまった。