たぶん、皆川俊明というのは本名だし、職業はミュージシャンで間違いないし、年齢も誕生日も性別も、すべての情報に偽りはないのだろうけど。
だけれども、たとえば彼が遠い国のスパイで、我が国の国家機密をねらっているエージェントだったとしても、あーやっぱりな、と納得してしまう気もしているわけで。
べつに、正体を暴きたいわけじゃない。
できればそんなものはあってほしくない。
わたしが見ているすべてこそ彼の“正体”で、そして、自分のこと、ちゃんと彼の恋人なんだって思いたいの。
誰かを好きになると、こんなばかみたいなことまで考えるようになってしまうんだね。
――そして。
ベッドルームと隣接するクローゼットのなかに、“それ”はあったのだった。
「あ……あやしさマンテンすぎてむり……」
せっかく鍵穴がついているのだからロックをかけておけばいいのに。
念には念を入れそうな彼は、金庫と呼ぶほど厳重でもないけれど、宝箱と呼ぶほど陳腐でもないそれを、意外にも開けっぱなしにしていた。
本当に驚いた。
なにがって、いちばんは、こんなものを見つけた上に黙って開けようとしている自分に、だ。
「ぜったい見ちゃダメだよ、ぜったい後悔する、ぜったいダメ、ダメです、ダメ……」
願わくば、びっくりな金額の預金通帳でありますように。
もしくはへそくりか、徳川埋蔵金。
いや、両手ほどの小さな箱に、埋蔵金なんかが入るわけないか。
ダメ、と100回くらいは口にした。
だけど、どうしても、どうがんばっても、わたしの手はその箱を元の位置に戻してくれなかった。



