「――なにかあった?」



受話器のむこう、いつもと変わらない声。

優しい音を耳に押し当てながら、返事に困った。


なにもなかったよって、簡単に嘘はつけないよ。

皆川俊明はそんなふうに騙せるような男じゃない。


「……どうして?」


悪あがきのように質問で返す。

ふっと、息を吐く音が聞こえた。


「さすがに、わかるよ。なんとなく声に元気ないし、ここのところ会いたいって言わないから」

「1週間もわたしに会いたいって言われないと、やっぱりさみしい?」

「うん」


素直すぎるウン、

本当の気持ちなのか、からかわれているだけなのか、やっぱりわからない。


「でもべつに、俺を試したくてそうしてるわけじゃないだろ」


うなじにつけてくれたキスマークは、知らないうちに消えてしまっていた。


「なにかあったなら教えて」


雪夜につけられたほうにばかり気を取られていたから、いつ消えたのか、ぜんぜん知らないよ。

最低。


「俊明さん……会いたい、です」


自分でも知らないうちにこぼれていた。もう限界だった。


「いまから?」


時計に目をやる。
もう夜の11時半を過ぎている。


「いまからって言ったら、迎えに来てくれますか」

「うん、いいよ」


はちきれそうな気持ち、まるでダムが決壊するように、どんどんあふれ出てくる。

なんの感情なのか自分でもぜんぜん整理できない。


だけど、なぜか涙が止まらなくて、きっとそれに気づいた彼がすぐに部屋を出る音が、受話器越しに聞こえた。