心とは何か。簡単には答えが見つからない。それには人間の数の答えがある。
唯、そう聞かれて「分からない」と答えるのは味気の無いものだ。だから、私なりの答えを、今ここで述べようと思う。

先ず、蝶の蛹を想像して欲しい。殻の中で未熟な蝶が蠢いている。其れが、私の中の心のイメージだ。
心を骨という檻で監禁し、その周りに肉を塗りつけて、皮を貼る。そこに血を注げば、人間の出来上がり。心とは、云わば殻に閉じ篭った未熟な蝶なのだ。身体と云う殻の中に閉じ込められた、私自身なのだ。その殻の中で、心は日々成長していく。

そうしていつか此の身体が朽ちる時。心は自由になる。蝶が蛹から出て飛び立つように、完成した心は身体を突き破り、監禁を解くのだ。
人間は皆死へ向かい歩いているが、生と死は対極のものでは無い。
死とは、人間の一番美しい姿。嘘偽りの無い、有りの侭の姿である。
檻と云う役目を終えた身体は、その使命から開放され、自然へと戻る。精神は檻から解き放たれ、自由になる。死人の表情が皆心無しか穏やかなのは、そのせいであろう。
人間は死をもって完成させられる。

どのような蝶になるのか。其れは、貴方次第だろう。禍々しい程に色鮮やかな蝶。穢の無い純白の蝶。闇に染まった真っ黒な蝶。どのように学び、どのように成長するのか。道は未だ分かれ続ける。
今、私の心は殻の中にあり、成長して居る。今、自己を形成している途中なのだ。正しく生きれば、綺麗な蝶に成れるだろう。
片輪に成りたいのならば、怠惰な生活を続けるが良い。