今日の六時間目は選択授業だった。山崎くんは音楽を選択していて、私は美術。だから、この時間だけは同じクラスと言えども一緒に授業を受けられない。その事にいつも少し落胆しながら美術室へ向かう。だけど、今日は少し違うかった。


「日野さん!」


後ろから呼ばれた声に、私は足を止めた。それと同時に胸が高鳴る。だって、振り向かなくたって分かる。この声は…


「日野さん今日日直だったよね。

鍵、持ってる?」


あの時と変わらない笑顔で、山崎くんは私に話しかけた。


「あ…うん。持ってるよ」


「良かった。ちょっと忘れ物しちゃってさ」


「そ、そっか…」


どうしよう…どうしよう…。私ちゃんと喋れてる?鍵渡すだけなのに、手汗が…ていうか手が震えて…。


震える手を懸命に隠しながら、抱えた教材と私の体で板挟みになった鍵を引っ張り出す。それを速やかに渡そうとすると、鍵に引っ掛かった筆箱が落ちてしまった。


「あっ」


それを拾おうとすると、抱えた教材が手から滑り落ちていく。ばさばさ、と音を立てて廊下の上に広がった。


「……」


恥ずかしくて言葉も出なかった。彼の顔が見れない。


…あぁ、もう絶対鈍臭い子って想われてる。


「ご、ごめん。これ、鍵…」


それでも、何とか鍵だけは渡そうと教材を拾いながら手を伸ばした。そうすると、彼は朗らかな声で言った。


「ははっ、俺ここまで明らかにドジな子初めて見た」


カッと顔が真っ赤になったのが分かった。


もう、恥ずかしい。山崎くんにこんなことまで言われて。お願い、早く鍵を受け取って立ち去って。


左手を握りしめながら思った。だけど、彼は中々鍵を受け取ろうとしない。


不思議に思って目線だけを上げると、彼は私の前にしゃがんだ。そして、私の教材を拾い上げていく。


私はその光景をポカンと見つめていた。


遂に彼は筆箱まで拾って、私は全ての所有物を彼に拾わせてしまった。


「はい、どうぞ」


目の前に差し出された教材と筆箱を見て、私は我に返る。


「はっ、えっ、ごめん!ありがとう!」


焦って勢い良くそれを掴みかかり、山崎くんは少したじろく。


「ご、ごめん…」


その様子に再び私は謝る。


「ははっ、いーよ。案外面白いね、日野さんて」


そう言って笑う山崎くん。その言葉は彼にとって何気ない言葉なのかもしれないけれど、私には確かに私が彼の瞳に映った証拠だった。


「鍵、ありがとう。じゃーね」


彼は笑顔で手を振り、友人の元へと走っていった。そしてその笑顔を見て、私は思った。


あぁ、やっぱり好きだ。


君の笑顔が、声が、全部好きだ。


彼の背中を見つめながら、熱くなる頬を冷たい指先で冷やした。