「あら日野さん、もう帰るのね。

勉強は捗った?」


教室の前のドアから顔を覗かせた担任により、私の回想は強制終了された。もうすっかり見慣れてしまった白髪混じりのボブと銀縁メガネが見える。


「はい。お陰で数学Ⅰのワークがそろそろ終わりそうです」


優しく微笑んでいる先生に、同じように笑い返して答えた。


「それなら良かったわ。戸締りよろしくね」


もう一度私を見て笑った後、先生は右手を挙げて再び廊下を歩いて行った。左手に鍵が握られていたので、音楽教師である彼女はこれから音楽室へ向かうのだろう。


机の上のリュックを背負って、先生に言われた通り戸締りをしてから教室をあとにする。


一年生の教室は三階にあるため、廊下の窓からグランドを一望出来る。そのため、この時間にはまだまだ学校に生徒が残っていることが分かった。


グランドの奥ではサッカー部と陸上部が活動していて、手前では野球部が活動している。あともう少しでテスト期間なのに、大変そうだ。さらに、毎日八時まで活動しているらしい。


野球部が実際に八時まで活動しているのを見た事は無いが、そんな遅い時間まで活動しているという野球部員の会話を、小耳に挟んだことがある。


「あ、山崎くん」


その情報を得た張本人の野球部員を見つけたとき、無意識に名前を零してしまった。慌てて口元に手をやり、周りを見渡す。幸い廊下には私以外誰もおらず、隣のクラスにも人影は感じられない。


ホッと胸をなでおろし、彼を見つめたい気持ちを抑えて廊下を歩き出した。なぜなら
、私が今いる廊下は電気がついていて、グランドから見れば何をしているか丸分かりになってしまうからだ。そんな所で気になっている人をガン見なんて恥ずかしくて出来ない。せいぜい、チラ見するのが限界だ。


だけど、私はこの瞬間が一番幸せ。


こんな時間まで居残りをしていたのもこのため。誰にも邪魔されず、彼を見ることに専念しながら廊下を歩ける。もちろん、テスト期間が近いという事も少し理由には入っているけれど。


彼を見たいが為にここまでするなんて…ストーカーっぽい?


自分で考えてサッと血の気が引いた。


いやいやいや、山崎くんに付きまとってるわけじゃないし!それに、被害を与えてるわけでもない!


急いでその考えを否定する。いつの間にか自分が犯罪者になっているのは御免だ。それ以前に、彼に嫌がられるなんて事は絶対に避けたい。


なんてことを考えながら、私は鍵を返すため職員室へ向かった。