井上哲生(いのうえてつお)が初めてこの工房にやって来たのは24歳の時だった。
家具職人になりたいと大学を中退して、神戸の工房で三年ほど修行を積んだ後、無垢材の家具に魅せられて弟子入りを志願した。
家具作りの技術的な基礎はできていたものの、無垢材の家具は何より素材の見極めが難しいらしい。
貴重な天然林から適した木を見極め、切り出し、製材して、乾燥させる。木の特性に合った自然な風合いの家具を作り出すには、それなりに経験と気の遠くなるような時間が必要なのだ。
とにもかくにも、その経験を積みたい哲生と、ちょうど即戦力の職人を欲していた和さんの思惑が一致した。
以来、『家具工房inno』は二人の職人の手で家具を生み出している。ちなみに、哲生の名字がイノウエなのは単なる偶然だ。
「そっか、有喜さんもお弁当いるかな?いつも通り二個しか持ってきてないんだけど」
「事務所に顔出して聞いてくれば?」
「うん、じゃあそうする」
宅配弁当の残る二個は和さんと哲生の分だ。哲生にお弁当を届けているうちに、和さんにも頼まれるようになった。作業優先で決まった昼休みはないからと、宅配順は最後でいいと言ってもらっている。
哲生の横を素通りして、奥の事務所に向かう途中、通路脇の完成間近のダイニングテーブルが視界に入った。
シンプルなデザインながら目を引くのは、天板の木目が美しいからだ。おそらくその木目を活かすために、あえてシンプルなデザインにしているのだろう。
丁寧に天然オイルで仕上げされている途中のそれは、温かみを感じるくせに、小洒落た雰囲気を醸し出している。
「あれ?こんなの、昨日まであった?」
テーブル見つめたまま、哲生に声を掛ける。仕上がり間近だというのに全く見覚えがないことが不思議だった。
平日は毎日ここへお弁当を届けているせいで、完成間近の家具はだいたいが作業過程を見てきたものばかりだ。
「ああ、それは……ずっとあったよ。たまたま目に入らなかっただけじゃない?」
哲生の返事には、明らかに焦りと戸惑いが混じっていた。何だか誤魔化されたような……嫌な感じ。
そう思ったけれど、深く尋ねることはなかった。
どうせ、この美しいテーブルは知らない誰かのオーダー品なのだろう。
もしくは、都会のインテリアショップで誰かが見初めるのを待つのかもしれない。
いずれにしろ、この町で地味に暮らす私に、覚えてもらっても何の得もない。



