親愛なる背中へ



「……ねえ、先生」

「うん、どうした」

「……ちょっと、後ろ向いてくれませんか?」


「後ろ?」と、不思議そうに首が傾げられる。それに、ゆっくりと頷く。

先生は私のいきなりの頼みに少し迷いを見せていたけど、私がじっと見つめていたせいもあるのだろう。特に深く訳を聞くこともせずに、静かに背中を向けてくれた。

……私のわがままを聞いてくれて、ありがとう。先生。

これでちゃんと、最後にするから。


一歩、先生の背中に近付く。

手を伸ばせば、すぐにでも触れられる。愛しくて追いかけてきた広くたくましい後ろ姿に、抱き付くことだって出来るだろう。

……でも、私はそうしない。

叶わない想いを自覚しながら、肺に2月の冷気を吸い込んだ。


「……先生の存在は、私にとって道しるべでした。ずっと、追いかけていきたいって思える人でした」

「……」

「でも、もう今までみたいには、追いかけたりはしません。出来ませんよね。先生が言うとおり、私は、ここから出ていかなきゃならないから」


どれだけ強がっても、声は情けなく震えてしまう。それはもちろん、先生にも聞こえているだろう。

でも、後ろを向いてもらっておいてよかった。きっと私、今とてもかっこわるい顔をしているだろうから。


「だけど……だけどね、先生。もう追いかけられなくても、先生が特別な存在であることは変わりません。卒業しても、これからの私の道の先にいなくても、私にとって先生は、かけがえのない“先生”です」

「……うん」


息を吸う。肌に触れるのも鼻腔を通り抜けるのもつんと痛くなる冷たい空気なのに、ちょっとだけ、春の気配を感じられた。