学生最初の長期休暇、ゴールデンウィークが何のイベントもなく終了してしまい、今日からまた授業かと辟易としながらの月曜日。俺はいつものように麻衣と共に超田園風景の中を闊歩し、教室に入ると、
「ん?」
 目の前に在りえない光景が飛び込んできた。何度か目を擦ってみたが、どやら夢ではないらしい。目の前では、巫部が自席でおとなしく本を読んでいるじゃないか。まあ、珍しいこともあるもんだ。
「よっ、よお」
 とりあえず平常心を装い、片手で挨拶を試みてみる。
「あっ、おはようございます。会長」
「あっ、あのさ、何読んでんだ?」
「これですか? これは……」
 そいってタイトルを見せるが、それを見た俺は……
「はい?」
 こんな疑問形しかでてこない。そりゃそうだ、俺が目にしたタイトルは、紛れもなく今流行りの恋愛小説だったからだ。
「どうかしましたか?」
 麻衣と顔を見合していると、巫部は不思議そうな顔で俺を見上げてくるが、こりゃなんの冗談だ? 巫部が恋愛小説を読んでいるなんて、遂にこの世の終わりがきたのか? 
「いっ、いやなんでもない」
 脳内に落ち着けと命令を出し、椅子に腰を下ろすが、俺は未だに混乱している。今、俺の目の前では何が起こっているんだろうか。どんなに頭をフル回転させても回答は導き出されそうにない。一体何がどうなってやがる。
 つい先日までは俺に容赦なく罵詈雑言を浴びせながら生徒会室を堂々と不法占拠し、相変わらず全員から引かれている存在だったのに対し、今の巫部はどういうことだ? 喋り方も変わっちまって昨日とは正反対になっているじゃねえか。これは何かのネタなのか? 謎は深まるばかりだ。
 授業中、必死になって考えるが、てんでいい回答が見つからない。昨日までの性格が一晩のうちに変わってしまうなんて、超常現象でも起きない限りありえない事だもんな。時折見る巫部は真剣な表情でノートに炭を落としているし、昨日までだったらどんな授業でも始まりのチャイムと同時に睡眠学習に勤しんでいたはずだ。もう、何がなんだか分からなくなっちまった。俺の脳がポンコツになっちまったのだろうか。
 そんな事を午前中一杯を使って考えていたが回答はない。俺は心理学者でもなければ、性格分析の専門官でもないのだからな。しかも、昼休みになるとさらに驚愕の光景が待っていたのである。
 いつもならば昼休みと同時に教室から出て行くはずの巫部は弁当を広げ、丁寧に食っているじゃねえか。しかも、箸に左手を沿え、咀嚼する時も左手を口に添えている。どこぞやのお嬢様のような食し方だ。これはもう呆れを通り越して呆然とするしかない。
 さらにもう一つ気になることがある。それは、クラスの誰もが巫部の行動を気にとめていないことだ。どういうことなんだ? 素でスルーなのか? 全員で俺をからかっているのか判断しかねるぜ。
 とりあえず、俺は弁当を食う暇を惜しんでクラスメイトに聞いて回った。しかし、返ってくる言葉と言えば、巫部はずっとああだった。変わったことはないって事だけであった。
まいった。もう打つ手なしだ。これが現実だとするならば俺と麻衣が変てこな世界に紛れ込んじまったのか、はたまた、俺たちの記憶がイカレちまったのかどちらかだ。どっちを肯定しても頭がおかしくなりそうだぜ。ここまで来ると確かめる術はない。ここで大声を出し巫部が変だと言い張ればたちまち痛い奴と思われ鉄格子のついた病院に隔離されてしまうだろう。もう、なす術なしさ。
ホームルームが終わり放課後となるが、午後の授業も右耳から左耳に流れ内容を一つも覚えていない。考える事といったらイカレちまったこの世界の事だけだ。
「ねえ、蘭帰ろうか」
 麻衣は元気なく溜息を吐きながら呟く。話し方からすると、麻衣もクラスメイトの女子に巫部の事を聞いたのだろうな。で、結局答えがでずに憔悴しきっているらしい。こんな時は速攻で帰るに限るな、鞄を手に立ち上がろうとすると、
「それでは、麻衣さん、会長、さようなら」
 そういって巫部が深々と頭を下げ、踵を返し教室から出ていった。いやもうこりゃ眩暈を通り越して頭痛がするぜ。
「やっぱりいつもの巫部さんじゃないわよね」
 巫部の姿が教室から消えたのを確認した麻衣が口を開いた。
「ああ、そうだよな。でも、みんなに聞いてもいつもどおりって言うだけなんだ。最初は俺と麻衣がからかわれているだけかと思ったんだけど、みんなの素振りを見ているとどうも現実っぽいんだよな」
「私もみんなに聞いてみたんだけど、巫部さんは前からああだって言うのよ」
「はあ」
 同時に溜息をつき、廊下の窓を見上げるといつもどおりの夕暮れだった。やれやれ一体何がどうなった。もう俺には理解不能だ。こんな時は帰っていの一番に寝ちまうのが得策なのさ。と、教室の戸を開けるとそこにはゆきねが立っていた。
「あれ? 御巫さん?」
 麻衣の問いかけに顎を数ミリ引いて挨拶したゆきねは俺の手を取り無言で走り始めた。
「麻衣、ちょっと待っててくれ」
 拉致られながら麻衣にそう告げ、ややハテナ顔の麻衣を教室に残し、ゆきねに引きずられる俺であった。