「一体どうしたんだ? ボーっとしちゃってさ」
 ゆきねは、腕を組み、手の甲に顎を載せて何かを考える仕草をする。
「ねえ、さっきの人って誰?」
 意外にも質問は、シンプルなものだった。
「さっきの? さっきのは同じクラスの奴だよ」
「そう……」
 再び何かを考え込んでしまうゆきね。しばらく、考えていたと思ったら、
「ちょっと、こっちに来なさい」
 そう言って。俺の手を引いて歩きだした。
「おっ、おい、これからホームルームなんだぞ。遅刻しちまう」
「そんなんはどうだっていいでしょ。いいからくるのよ」
 何がどうなったら、こうなるんだ? だが、ここで、俺に拒否権はないらしい、強引に手を引かれ、階段を上り、たどり着いたのは、屋上だった。
 ゆきねは、振り向かず、その先に続く空を見上げながら、
「やっと、やっと見つけたわ」
「見つけたって何を?」
「決まってるじゃない、ニームよ」
 そう言うとゆっくりと振り向き、ニヤリと口元を歪ませる。
「ほっ、本当か? そりゃ一体誰なんだ?」
「落ち着いて聞きなさい。さっき教室の入り口で喋っていた女子生徒がいたでしょう。彼女がニームよ。間違いない」
 はて、さっき会話していたのってのは確か、あのやかまし女だったような気がするが……。
「まっ、まさか、巫部がニームって言うんじゃないだろうな」
「巫部……」
 少し言葉につまるゆきねだが、すぐにいつもの調子に戻った。
「まあ、名前なんてどうでもいいわ。だけど、意外よね。ニームとあんたが知り合いだって言うのだから」
「まあ、入学式の日に少しあってな。それ以来の本当に腐れ縁だ」
「そう、本来ならば、その場で殺してたんだけど、あんたと親しそうにしてたからとりあえず殺すのは保留にしてあげたのよ。ただまあ、処理しなくちゃならない事には変わりないけど」
 何故かゆきねは俯き、複雑そうな表情をしている。長年探し求めていたものがいきなり目の前に現れたらそういう反応になるのだろうか。
「ちょっと、待ってくれ」
「何?」
 振り向いたゆきねはいつものクールな顔に戻っていた。
「あっ、あのさ、さっき『殺す』って言ってなかった?」
「言ったわよ」
 あっさりと肯定される。
「前言ったじゃない。ニームは処理しなくちゃならないの。このままだと闇の世界が無尽蔵に拡大してしまうの。それにバグもいつ発生するか分からないわ。その前に対処しないと」
「待て待て待て、やっぱり殺すなんて穏やかじゃないぞ。もっと別の方法で解決できないのか?」
「ないわよ。そんなの。それとも何? あんたは、生み出されたバグが拡大して、この世界がリセットされてもいいと言うの?」
「いや、それは……」
 俺は答えることができなかった。
「……」
 ゆきねもそのまま押し黙ってしまい。何かを考えているようだったが、しばらくすると無言のまま何の感情も見いだせないような冷たい表情でゆきねは踵を返した。
 俺はその場に立ちつくし、しばらく動けないでいた。ひょんな事からニームを探す事になっちまったが、まさか、俺たちが探し求めていたものが、こんな身近にいたとは。だが、ゆきねの言葉では、巫部を処理するという。そうしないと闇の世界が増殖して、この世界を覆い尽くしてしまうからだ、しかし、よく考えろ、巫部を処理ってことは殺すってことで、そんな物騒なことがあってもいいのいか。だが、しかし……。
 俺の思考はまとまらない、矛盾した命題を延々と否定しているかのようで、いくら考えても堂々巡り水掛け論になってしまう。
「くそっ、どうすりゃいいんだ?」
 俺は空を見上げた。そこには相も変わらず太陽が燦々と輝いていた。この世界が闇で覆われてしまうなんて、どうかしてる。だが、それを救うには、巫部を殺す必要があるという。いきなりとんでもない世界へ放り込まれて、一体俺の周りで何が起こっていると言うのだ。どんなに考えてもいい回答なんて浮かびそうにない。そして、更に今の俺にできることはない。強制的に自我を納得させて、とりあえず授業に出ようと、一限目が始まり誰もいない廊下を教室に向かい足を踏み出した。