こんやくしゃ。――婚約者?
静かに揺らいでいた水面に、大きな波紋が広がっていく。
「……なに驚いた顔してんだ。婚約者がいることくらい、お前だって知ってたろ」
違う。驚いてなんていない。彼の言う通り、私はとっくのとうに知っていたのだから。
『あんたもお嬢様なら分かるだろ。親に決められた相手がいんだよ』
『蓮に婚約者がいることは知ってる?』
知ってる。分かってる。全部、最初からよくよく聞いていたことだ。
じゃあ、どうして? どうして今更、私は――。
「そう、ですよね」
やっとの思いで絞り出した声は、掠れていた。
そうだ。私は浮かれていたのだ。
あまりにもイレギュラーなことが起こりすぎて、忘れかけていた。それを今、きちんと思い出しただけ。地に足がついただけ、で。
「佐藤。お前、」
森田さんが懸命に言葉を捻り出そうとしている。出そうとして、その先は一向に出てこない。
「きちんとご挨拶をしなければいけませんね。私まで緊張してきました」
蓮様の専属執事を務める、佐藤と申します。
大丈夫、言える。だってその称号が私はずっと欲しかったんだ。彼に認めてもらった時、名前を呼ばれた時、ずっとお仕えしようと思った。
「……すみません。失礼します」



