「ごめん、寝不足で頭が動かない。文也の言ってる意味がわかんない」

瞬きを忘れて目が乾く。静かすぎる部屋で自分の心臓の音が耳元で聞こえる気がする。
頭が痛い。目を閉じると脳がクラクラして、体も揺れてる感じがして、三半規官が壊れてしまったみたいだ。

考えちゃいけない回路に勝手に入ろうとする思考を全身全霊で止める。
区切りを付けたところだ。そう簡単に揺るがしちゃいけない。あとで苦しむのはあたし自身なんだ。馬鹿げた感情は持っちゃいけない。

ギュッと目をつぶって何も入ってこないように耳を押さえようと、文也の手から逃れようとした―――けど、文也の一言で止められた。

「今どうしようもなく、お前が気になる。好きとか嫌いとか、そういう次元の話じゃなくて、お前の気持ちが知りたい」
「・・・」
「さっき言っただろ。俺のこと諦めたかって」
「・・・」
「お前は“好きじゃない”って言ったけど、」

握る手が強くなって、引っ張られる。前のめりになったあたしは、

「俺はもう幼なじみには見れないんだよ」

肩が軋むくらい強く抱きしめられた。

「・・・っやめてよ!」

隙間なく抱きしめられて、下ろしたままの手を必死に動かして抵抗するけど、やっぱり男の力には敵わない。

「歩」

落ち着かせようと、文也はあたしの名を呼ぶ。

「やだ!」
「歩」
「離して!」
「歩」

イライラする。あたしの気持ちとか文也の気持ちとか全部無視して、ただイライラする。

「こんな時にだけ、名前呼ばないで!!」

イライラする。あたしの名前を呼ぶ声も、温もりも、男を感じさせるところも、言葉も・・・何もかも。

叫ぶように言ったあたしに驚いて、文也は抱きしめる力を緩めて顔を覗き込む。焦ったような困ったような顔。どうしてあたしがこんな反応をしてるのかわからないって顔。
隙間が開いたことで、あたしは文也の腕の中から抜け出す。胸を押して、少し体勢を崩した文也を精一杯睨んで、ベッドから立ち上がる。

「歩!」
「やめてって言ってるでしょ?!」

今日は文也の両親はいない。おじさんが久々に長期休暇が取れたみたいで、夫婦仲睦まじく旅行に出かけてるらしい。だから、この家はあたしと文也だけ。早朝でも声を出せるのはそのおかげだ。

文也はあたしを見て、戸惑ったように俯く。自分の頭の中で想像していたのと随分かけ離れていて、どう動いていいのかわからないんだろう。

「そういう所が嫌いなのよ」
「・・・」
「頭で考えてばっかで、相手の気持ちなんて全く考えないところが嫌い」
「・・・」
「2年前、あたし文也に忘れてって言ったのよ。普段どおりにしてくれていたから分かってくれてたんだと思ってたけど、聞いてなかったの?」
「聞いてたよ。でも、」
「あたしの2年間、なんだと思ってんの?幼なじみに戻ろうと必死に平然装って頑張ってたあたしの気持ち、わかる?2年越しでカタつけたんだよ、あたしも」

ダメだ。抑えられない、堪えることが出来ない。今までの想いが溢れて止まりそうにない。言いたくないのに勝手に口が動く。

「今更そんなこと言うなんて」

頬に、涙。文也の手が伸びてくるのがわかって、でも避けることが出来なくて、文也の指が頬を伝う涙を拭う。

「なんの嫌がらせなの?」
「なんで笑うんだよ・・」

あぁ、あたし笑ってんだ。文也に言われてようやく自分の表情がわかる。その反対に、心はぐちゃぐちゃだ。

諦めたと固くなる心とあたしが気になると言う文也に動揺する心、そして―――文也の手のひらを頬で感じる。涙で一杯になった視界で文也を見ると、心配そうにあたしを見つめる。

「もう、自分がわかんない。頭の中では色々思ってることあるんだけど、泣いてるし、笑ってるしで、ほんと意味わかんない」

泣いてるつもりなんてないから、流れる涙を拭くこともしない。その代わりに文也が自分の服の袖で拭いてくれる。なんとも言えない情けない顔をさらして、あたしの涙を拭く。

泣いてるあたしに声を掛けることもせず、あやすように頭を撫でることもせず、ただ黙ってあたしの頬に流れる涙を拭いてた。それしか出来ないの?って言いそうになるくらい、それしかしなかった。
涙で湿った袖はすでに涙を掬えなくなって頬に触れると冷たかった。