織田佑美の包囲網は、少しずつ崩れていった...。

理々杏の頼みの綱の武田真夏が、病気でこの世を去ってしまった。

浅井琴子・朝倉絢音連合軍も、織田佑美・徳川七瀬連合軍に姉川(あねがわ)の戦いで負けてしまった。

上杉一美も、佑美包囲網に協力してくれているが、越後では遠過ぎる。

そんな時に、理々杏に好機が訪れた。
佑美が“ある事”をした。

━━奈良県大和(やまと)地区にある、東大寺正倉院(とうだいじしょうそういん)に保管されている、《蘭奢待(らんじゃたい)》と呼ばれる香木(こうぼく)の一部を切り取ったのだ。

佑美も悪気があった訳ではなく、
「良い香りのする木と聞いたから、ちょっと欲しかった...。」
程度のものだった。

ちなみに蘭奢待とは、別名で正式名称は、《黄熟香(おうじゅくこう)》と言う。

━━ここで豆知識であるが、《蘭奢待》の三文字には、《東・大・寺》という文字が隠されているのだ。

「大名とはいえ、女子高生が神聖な香木を切り取るとは!!」
この行為が、仏教主義学校連盟(ぶっきょうしゅぎがっこうれんめい)に加入している、全国の仏教系の女子高の怒りを買ったのだ。

その中で特に力のあった、摂津地区石山(いしやま)女学院三年、本願寺楓(ほんがんじ・かえで)を総大将として、全国の仏教系の女子高が織田佑美の敵に回った。

本来、東大寺は《華厳宗(けごんしゅう)》で、本願寺は《浄土真宗(じょうどしんしゅう)》なので、宗派が違うが、仏教主義学校連盟の絆により、楓が動き出した。

━━楓は、ほんのりブラウンのセミロングのストレートが良く似合う美少女だ。
摂津地区は、ほぼ佑美の支配下にあるが、石山女学院や、幾つかの女子高は、まだ抵抗をしていた。

その中に、《雑賀衆(さいかしゅう)》と呼ばれている女子高生のチームがあった。
彼女達は、クレーン射撃が得意な女子高生達で、色々な学校の女生徒の集団である。
オリジナルのセーラー服を来ていて、機関銃で撃ってくる武装集団で、まさに《セーラー服と機関銃》だ。
その雑賀衆が本願寺楓に味方したので、厄介である。

佑美が、最も苦戦した相手だ。

結局、石山女学院を攻め落とすのに、一ヶ月近くもかかってしまった。
この楓達との戦は、石山女学院の名前から《石山戦争(いしやませんそう)》と呼ばれた。

━━本願寺楓を打ち取った佑美は、摂津地区を完全に制圧した。
また、理々杏は窮地に追い込まれた。

さすがの佑美も、理々杏の行動には怒った。
━━二条女学院の応接室。
「理々杏様、ここまでされてしまいますと、私もお支えする事が出来ません。」
と、佑美が言った。

相手は年下であるが将軍なので、佑美は敬語で話していた。

「ごめんなさい...。」
と、理々杏は頭を下げた。

「申し訳ございませんが、理々杏様には将軍職を辞任して頂き、二条女学院からも出て頂きます。」
佑美が言った。

そして佑美は、理々杏を二条女学院から追い出してしまったのだ。

理々杏は、京都からも出る羽目になった。
《将軍不在》という事態になり、室町幕府は滅亡した。


━━武田真夏の跡は、妹で躑躅ヶ崎女子校一年生、武田葉月(たけだ・はづき)が継いだ。
葉月は、黒いロングヘアが似合う美少女だ。
しかし突然、真夏から葉月に代わった事と、川中島の合戦などで、有能な家臣達が命を落とした事もあり、真夏の時代の様な勢いはなくなっていた。

━━武田葉月の軍は、織田佑美・徳川七瀬連合軍に長篠(ながしの)の戦いで敗れた。
そして、名門武田家は滅亡した。

━━その武田家滅亡の混乱の中、真田純奈が生まれ育った、長野県信濃地区小県(ちいさがた)にある上田(うえだ)女子高等学校に、二年生で妹の真田美彩(さなだ・みさ)達と移り、小名として独立したのだ。

真田美彩は、茶髪のストレートが似合う美少女で、可愛さの中に、大人びた美しさも兼ね備えている。

その頃、今川ちはるも徳川七瀬に攻められて、同盟を組んでいる北条飛鳥を頼って、相模地区に移っていた。
それにより、大名としての今川家も滅亡した。

━━そして、勢いに乗った佑美は、若狭地区の朝倉絢音を越前(えちぜん)地区の一乗谷(いちじょうだに)女子高まで追い詰めて討ち取った。
更に佑美達は、小谷女学院まで引き返し、浅井琴子も討ち取った。
小谷女学院を落としたのは、羽柴麻衣だった。
自分が密かに想いを寄せている、織田春馬の元恋人の学校を、攻め落とす羽目になってしまったのだ...。

そして、朝倉家・浅井家も滅亡した。

世代交代や滅亡などで、理々杏が仕掛けた佑美包囲網は崩壊してしまった...。