それから一生懸命走って、一階まで降りた。途中で何度もいろんな音を聞いた。ザバンとザラメが散らばる音。カラコロン、筆が床とぶつかる音。パソコンのピーってけたたましい音も。
だけど、見ぬふりをした。あえて僕は彼らを信じたい。
試験管の言うことも、ピアノも。

ピアノはよく笑う少年だった。だけど屈託のない笑顔ではなく感傷に浸るように薄く微笑む。その顔が好きで僕は下手くそな曲を何回も披露したっけ。
子供の頃に習った易しい曲ばかりだったけど君はいい音となんども僕を励ました。

苦しいな。思い出なんて、なかったのに。

「やあ」
階段を出て教室棟を歩いていると、息切れを起こしている僕に爽やかな挨拶をかますやつがいる。
「なんだ、栞か」
図書館の主。彼は名前こそ栞だけど本当は何かの本らしい。お人好しな性格でいつ会ってもにこにこ。卑しい所なんてなくて好印象の青年だ。にして誰もが羨む端正な顔立ち。
ただ、金髪なので僕は海外のものなのではないかと睨んではいるけど。

「どうしたの?」
「探していた、君を」
「ありがとう。何か用?」
彼はブレザーの袖から握りしめていたであろう何かを取り出した。
反射的にそれを受けとる。
「間に合って良かった。御守りだよ」
オレンジ色の御守り。彼の手には収まるけどサイズは少し大きめだ。
彼は嬉しそうに顔をくしゃっと歪ませた。
「ぶっ壊れる前のミシンが縫った。」
綺麗に仕上がっている。フェルト地の御守りでさわり心地も滑らかだ。
「すごい。ありがとう、中は?」
「見たくなったら見ればいいよ。」
「なんで、これを?」
「証。僕らのいた、証明書だ!」
彼はそうして僕の背中を押した。強めに、叩くような感じで。
「行きな」
僕は、ああうんと曖昧な返しをしたが、これが最期だ。彼に訪ねる。
「なんで物って壊れるんだろう」