(五)
暗闇の深海を漂っていた。
沈んでいるのか浮かんでいるのかも分からない黒の世界。自身は今まで何をしていたのか、夢うつつとなる状態で時折、開かれた絵本が私の視界に入ってきた。
最初は『ウサギとカメ』。文字だけでなく映像も浮かび、そこには物語の住人と。
「わた、し……」
うずくまって泣いている幼い私がいた。
ウサギとカメに慰められるも、私が泣き止むことはない。泣きながら、おとうさんおかあさんと声が枯れるほど叫んでいる。
次は涙が枯れるかと思いきや、そこに物語の住人ではない一人のーー
「あ……」
確認する前に絵本が消える。
しかして次は別の絵本だ。それも一冊ではなく、何冊も開かれた絵本が様々な映像ーー“記憶”を見せてくれる。
お菓子の家に飛びつく私。あまり食べ過ぎるなとそれを抱える“彼”。
七匹の小ヤギたちとブランコに乗り、壊れて私が落ちようものなら顔を真っ青にして駆け寄って来る“彼”。
獣たちの音楽隊にはやし立てられ、私と一緒に踊ってくれる“彼”。
寒がったり暑がったりする私を見かねて、北風と太陽に仲良くしろと強要する“彼”。
人魚姫の歌声を聞きながら眠る私を優しく抱っこしてくれる“彼”。
鏡の前でこの子が一番かわいいと王妃様と喧嘩になる“彼”。
お城での舞踏会に目を輝かせてはしゃぐ私を必死に追いかける“彼”。
そうして。
『驚いた。この子も聖霊なのかい?』
『いや。そうじゃないんだが』
『セーレさん!このひとは?』
『はじめまして、かわいいお嬢さん。僕は笛吹き男だよ。セーレだなんて可愛い名前をつけられたんだな、聖霊さんは』
『好きに笑うといいさ。大切なものに名前で呼ばれる幸せはいいものだからな』
『へえ、いいなぁ。あ、だったら』
羨望の瞳で“彼”を見つめるどこか疲れているような青年に、私は。


