「私を殺したくば、原型なくなるまで壊してくれよ」
“戦って、死ぬ”
それは云わば、切っても切り離せない因果だ。戦いに死はつきものである。勝利をしても、体に深手を追えば時間の経過と共に死に至ることもある。
しかして、今の時代、因果すらもねじ曲げる奇跡がある。
体の半分がなくなろうとも、生きていれば“治してもらえる”。何があっても何とかなる時代なのだ、武人らしい死を望むことは難しい。
それを嘆くべきか、喜ぶべきか。
瀕死のこの状態も然るべき聖霊のもとへ行けば、数秒で完治してもらえる。胃袋で溶解されようとも、一抹の意識さえあればきっとーー
「私は、どこまでも強くなれるぞ」
何度も立ち上がる執念のおぞましさを己で痛感する。仮に敗れようとも再戦を考えることさえもした。歯止めが利かない。こんなにも“刺激”を求めていたのかと、己の新たな一面を発見した気にもなった。
現段階、どう見ても彼女に勝ち目はない。しかして、彼女の闘志は消えない。最後まで諦めないとは美しい言葉ではあるが、その実。
“最期まで諦めさせてはくれない”。
何があってもどうにかなる。
「さあ!来い!」
生であっても、死であっても、彼女らしさは消えない。
戦い続ける生か、存分に散り去る死か。
命知らずに応えるように、巨大な影が彼女を覆い尽くす。
そうしてーー


