「茜ちゃん、どう?」
「なんか今回はすごく動いて、特に夜中に動くので、眠れなくて」
「男の子かしら」
「そうだといいです」
「俺は茜によく似た女の子がいい」
「私は、橘君に似た男の子がいいわ」
「二人ともよく照れずに言い合えるな。自分の子とは思えない」

お義父さんも呆れてしまっている。

「茜が一番大切だ」

それが口癖の橘君で、私は、自分の子供が嫌いなのか、そうだとしたら、どうしたらいい、と不安になった。
だけどそれは取り越し苦労で、

「子供はそれよりも前だから、順番を付けることができない」

平然と訳のわからない理屈を言った。
病院では誕生と死が隣り合わせだ。
橘君の様子をみると、それがすぐに分かって、傍によりそう。
悲しみのときは、そうして傍にいることが私の大切な仕事だった。
橘君はいつでも勉強をしていた。
書斎に入る時は、邪魔をせず、呼ばれるまで静かにしていた。
いつでも考えていることは、病院に来る子たちが治るようにと考え、論文や、症例の収集に余念がなかった。
いつもいい加減なことを言って、私を怒らせ、甘えては我儘をいう彼だが、その姿勢は本当に尊敬する。
結婚生活がスタートすると、なんでも相談した。それにちゃんと耳を傾けて答えてくれる。
一番苦痛だと思っていた人付き合いも、なんとかできている。

「仕事はしなくていいよ。ずっと家に居て好きなことをしたらいい」
「専業主婦にあこがれもあったんだけど、私には向かないみたいよ」
「そうなの?」

生活に慣れるまで主婦に専念すると橘君に言って、病院を掃除するくらいで終わっていたけれど、意外とじっとしているのが性に合わないとわかった。


「やっぱり、仕事をする。受付と、アシスタント」
「いいよ」
「食事の用意があるから、夕方は4時か5時までだけどいい?」
「うん、いいよ」
「ねえ、もしかして何でもいいの? 面倒くさいの?」
「違うよ、茜はちゃんと考えて言っているからそれでいいと思ってるわけ」

優しいのか、面倒なのか、信頼されているのか分からないけれど、橘君はいつもこうだった。
子供が出来たと知ったとき、私は、パニックになった。
母親のようになったらどうしよう。父親のように暴力をふるってしまったらどうしようかと。
そんな私を橘君は温かく見守ってくれ、出産を迎えた。
その時に私は、思った。
少なくとも母親は、この痛みと苦しみを経験して私を出産したのだと。心底嫌いだったら、出産をしなかっただろう。
母親になったことで、そこだけは理解することが出来た。
橘君は、出産にも立ち合い、無事に生まれると、大泣きした。それを見て私は、逆に泣けなかった。
だけど、子供が出来ると、すぐに壁にぶち当たった。
「ママ友」だ。
「橘動物病院」の家族として、不愛想で人付き合いが悪い嫁では、病院の評判に響いてしまう。

「自分から話しかけることはないよ。挨拶だけをしていればいい。それにまだベビーカーに乗せているだけだし。それに、公園に行かなくても我が家には、りっぱな屋上公園があるじゃん」
「……うん」

私のこの性格の為に、娘に友達が出来なかったらと思うと、心配でならない。
ベビーベッドに寝ている娘を見ながら、そんな心配ばかりをしていた。

「茜はすごく変わったよ。下ばかりを向いていたあの頃とは違うんだ。母親になって強くなったし、子供の為なら怖いものなんてないって言ってたじゃないか」

そうだった。
出産を終え、胸元に我が子を抱いた時、この子の為ならなんでも出来る。そう、すぐに思った。
今のこの考えは、自分の事しか考えていなかったということだ。娘のことを考えたら、「ママ友」くらいなんだ。
私が友達を作るんじゃなく、娘が友達を作るのだ。友達を作ることが出来なかった私が最初に出来ることは、友達を作ってあげることだ。

「うん、そうだった。忘れてたわ、そんな大事なこと」