ー
知る人ぞ知る、料理がおいしいという評判の宿。
一階の酒場では常連客が毎夜豪快な笑いを響かせみんなで音楽や踊りといった娯楽を楽しみ、噂を聞きつけてやってきた旅人たちは充実した時間を過ごして二階の宿で夜を明かす。通りから少し入る奥まった場所に『ナーシャの宿』はあった。
とりわけ今晩はいつも以上ににぎやかで、大盛り上がりであった。というのも、明日から城下町ではロゼリア王女の結婚を祝う祭りが半月ほど開かれるため、モルゼ国内の各地から姫と王子の姿を一目見ようと人が押し寄せているのである。
ナーシャは、先ほどまで行われていた宴会の余韻に浸りながら酒場の後片付けをしていた。
やっと泥酔状態の客たちを家に帰らせ、片付けができるようになったのだ。
卓上の皿をすべて片付け終え、布巾で拭いていると背後のドアにつけているベルがなった。店の外には閉店の看板を出しているためおかしな話である。
「閉店だと言っているのに、一体誰かしらね。こんな夜更に。」
ナーシャがドアを開けると、そこにいたのは男用のマントを頭上から被り隙間からにっこりと笑う顔を覗かせた少女だった。
手元に握りしめていた布巾が宙を舞った。
普段ならこの世の誰をも魅了するこの笑顔に絆されてどんなことも許してしまうのだろうが、そんなことを言っている場合ではない。
な、なんてこと…!
ナーシャはここにいるはずのない姿に何度も瞬きをして驚いてアデルを中に引き寄せるとものすごい勢いでドアを閉めた。
「あ、あ…アデル様っ!一体どうしたのですか…!こんな、まあっ、…ええっ?!」
「ふふ、ナーシャ、言葉になってないわよ。」
アデルは平然とした態度で被っていたマントを丁寧に畳みながら、目の前で百面相を繰り広げるふくよかな女性に微笑む。
「アデル様…!笑い事ではありませんわ!
…ああ、王妃様がお知りになれば今度こそ私の首が…。」
