専門学校を卒業して正看護師として大学病院に勤めて5年。私がいるのは救命救急科で、日々削られていく心と闘う日々だった。

なにしろ救急車で運ばれてきた患者さんは、状態によって手遅れの場合が多い。急変した患者さんも然り、こちらがありとあらゆる手を尽くしてもその甲斐虚しく、毎日のように死んでいく人を見るのは心苦しいのだ。

私の悩みはそこにあった。


最初の3年は、亡くなる患者さんを目の当たりにしては心が沈み、時には涙を流す時もあった。
だけどここ2年、私の心は「人の死」に直面しすぎて頑丈になってしまい、亡くなっていく患者さんを見てもいちいち心を痛めることが少なくなってしまったのだ。

それは数ヶ月前に祖父が亡くなった時も同じだった。


祖父の死の後くらいから、「私の心はおかしいんじゃないのか」と感じるようになってきたのだ。
悲しいはずなのに悲しめない。


モニターの心音が消えてしまっても、患者さんの家族が泣き崩れていても、感情を消すようになった自分の心が人として大切なものを無くしてしまったみたいで、とてつもなく悲しくなった。
それを感じると、やっと涙が流れる。

そういえば敬佑くんと出会った日も、私はそうした思いを胸に抱えていて泣いていたんだった。



ようやく仕事を終えて更衣室のロッカーで携帯を見ると、敬佑くんから連絡が来ていた。
「ちょっと会えませんか」という一言だけのメール。いつもの彼の誘い文句だ。


数時間前に届いていたらしいメールの返信をうつのが面倒で、電話に切り替える。
しばらくコールがしたあと、彼の声がした。


『はい、響さんですか?』


彼は私を「響さん」と呼ぶ。
森田響と名乗ったその日から、彼はそのように呼んだ。馴れ馴れしいとは違う、どことなく優しい呼び方に、心地よささえ感じたほどだ。
彼の不思議な力だと思った。


「ごめん。メール今見たの」

『仕事忙しかったんですね』

「……うん」


ロッカーに背をつけてうなずくと、少し遠慮がちに


『じゃあ今から会うのは無理ですか?』


と尋ねられた。


今日は1人、亡くなった人がいた。
取り乱して泣き崩れる家族に冷静に説明する自分の姿を思い出して、なんて冷たいやつなんだと涙が込み上げてきそうになった。
そんな状態で彼に会ってはいけない。


「今日はちょっと……」


それだけしか言葉が出てこなかった。