幸福に触れたがる手(短編集)





 篠田さんは年越しに自宅でそばを食べるのは数年ぶりらしい。いつもは外で食べたり、そもそも食べなかったり。
「だからまさかこんなに美味いそば食って年越しすることになるとはな」と言ってくれた。
 まあ、手打ちそばなわけはなく、スーパーで買っておいた生麺なんだけれど。

 照れ隠しにおそばを啜ったら「可愛いなぁ」と頭を撫でられた。



 その後は久しぶりにテレビの電源を入れ、並んでバラエティー番組を見ながら雑談をしていたら、いつの間にか年が明けていた。
 少し遅れて「明けましておめでとうございます」を言うと、篠田さんの顔が近付いてきて、ごくごく自然に唇を寄せた。

 テレビでは芸人たちがまだがやがやしていたけれど、なんだか「そういう」雰囲気だった。

 肩を押されてゆっくりとソファーに倒れる。さっきはここで足つぼマッサージが始まった。でも今回は……。

「知明」

 彼が優しい声で、わたしの名を呼んだ。
 胸が高鳴り、頭の横に置かれた腕をそっと撫でる。

 それをきっかけに篠田さんの顔が近付いて来て、もう一度唇がくっつく、……寸前。




 床にあった篠田さんの携帯電話が鳴って、ふたりの視線がそちらに向く。
 メールじゃなく電話だ。

「……切っとけばよかった」と悪態を吐きながら視線をわたしに戻すけれど……。急用だったらどうするんだろう……。

「あの、篠田さん。電話鳴ってます」

「知ってる」

「急用かもしれませんよ?」

「新年早々?」

 言いつつも篠田さんは少し考え、わたしの上から退いて携帯を手に取った。

「はい、……ああ、明けましておめでとう」

 新年なのにやたら不機嫌な対応だ。こんなに不機嫌な「おめでとう」は今まで聞いたことがない。

「ああ、そういや久しぶりに集まって初詣行くとか言ってたっけ……」

 起き上がってテレビの音量を下げると、賑やかな女の人の声が聞こえた。
 仕事の急用ではなかったみたいだけれど、お誘いだ。

 じゃあ篠田さんはもう行ってしまうのかな……。

「へえ、そんなに集まったんだ……。ああ? いいよ替わんなくて、おい。……おう、久しぶり。いや、元気だけどさあ……」

 どうやら会話の相手が替わったようだ。今度は男性。代わる代わるお誘いを受けているらしい。

 手持ち無沙汰で立ち上がって、お風呂の準備をしようと一歩踏み出したら、手首を掴まれる。
 篠田さんは素知らぬ顔で電話の相手に相槌を打っていた。

「ああ、ああ、俺パス。……はあ? 分かれよ、女といんの。……お前らの知らないやつ。はあ? 知らねえよ、恋人よりそっち選んだのは自分だろうが。……幹事とか無理無理。幹事のチェンジシステムなんてやってねえから。とにかくもう邪魔すんなよ、じゃあな」

 電話口からまだ声はしていたけれど、無理矢理会話を終わらせて、電源も切って、携帯電話を投げ捨てる。
 ぼんやりそれを見ていたら、篠田さんは掴んでいたわたしの腕を引き寄せ「知明も電源切っとけよ、邪魔されんぞ」と。

「あ、わたしはサイレントマナーなので大丈夫なんですが……いいんですか? お誘い。わたしは気にせず行ってください」

「ああ? いいんだよ。この時間から支度して人混みの中に行くのはだるい」

「せっかくのお誘いなのに……」

「女といるって言ったからさすがに諦めるだろ。俺がいなくてももう充分盛り上がってるし」

「うーん……」

 いいのかなあ。こんな時間に連絡を寄越したってことは、篠田さんに来てほしいって思っていたんじゃないのかなあ。そもそも集まるって約束をしていたらしいし……。

「電話のことはもういい。行くぞ」

 そう言って篠田さんは身体を寄せたまま、わたしを寝室に促した。