眠れない夜
ベッドの中で少女アンジュは、寝返りを打った。
今日は、私のエレメンタリースクール(小学校)の入学式だった。
しかし、眠れない理由は、これから先のスクールライフや友達関係などの期待や希望ではなかった。

考えていたのはママの事。

「ここが、私のエレメンタリースクール!!ここに通う事になるのね!嗚呼(ああ)わくわくする…!」

「そうね、アンジュはずっとこの日を楽しみにしていたものね。」
となりでママが優しい目で私を見つめ、頭を撫でてくれる。

「そうよ!入学すれば、沢山の事が学べるもの…!文字だって書けるようになるかもしれないわ!そうすれば…」
夢心地で校門をくぐろうとした時。

ママは立ち止まり、呟いた。

「パパは小説や絵本を書いていたわ。アンジュも文字や物語が好きになるかもしれないわね…パパにアンジュを会わせたい。」



切ない、声。

「ママ…?」


振り返ると突風が吹き、ママの長い髪がなびいた。
ママの表情は分からなかった。

ずっと聞いていなかったパパの存在。
私のパパは、私が三歳の頃亡くなった、らしい。

らしい、というのは、私には、はっきりとしたパパの記憶が無いから。

顔も…声も…覚えていない。アルバムは見た事があるのだが、写真の中で幸せそうに微笑んでいる男性がパパだと実感が湧かなかった。
「そうか、この人がパパなんだ。」と頭の中で繰り返し、自分に言い聞かせ納得させたのだ。

そして、ママが思い出したかな?という声に、困った顔で私は笑った。するとママは泣きそうな顔になり、少し怒った顔になって、切ない顔になってから私と同じ表情になり、笑った。



そこまで考えた後、思った。




「ママは、パパに、会いたいのかな。」





ベッドの中でウサギのぬいぐるみを抱きしめ、呟(つぶや)いた。
写真の中の私とママとパパは幸せそうに笑っていた。
その写真の中の記憶があるのはママだけ。




そう思うと、胸の中が締め付けられたように痛み、苦しさがじわり、じわり、と身体中に広がる。
すごく、切なくて、悲しくて…さみしい。




ママもこんな気持ちだったのだろうか、いや、私より苦しかっただろう。ずっと前からこんな感情が続いていたのだろう。
私がパパを思い出さない限り、このママの気持ちは続いていくのだろうか…。
そんなの、嫌だ!!

「パパ…パパ今何処(どこ)に居るの?会いたいよ…。ママを…置いていかないで…。ママが、かわいそうだよ。」

パパに帰ってきて欲しい。
そんな事、無理かもしれないって、分かっている事。

せめて…私が思い出せるのなら…思い出したい。

涙がじわっと溢(あふ)れそうになるが、「だめ、だめ、私は一年生のお姉さんなの。」と思い、堪(こら)える。

こんな気持ちはいつもの手段で気持ちを落ち着かせなければ。
今日は夜更かしはダメなのだ。明日は初めての待ちに待った登校日なのだから。
ベッドの横の大きな窓のカーテンを開けてみた。
そこにはぽっかりと大きく欠けた三日月の白い光がぼんやりと滲(にじ)むように輝いていた。もう、すっかり真夜中だ。