―――――――聖っ、聖
誰だ?
遠くで、俺を呼ぶ声がする。
うるさいな。
眠りたいんだよ。
「聖!!」
「っ!?」
僕の意識が、覚醒する。
一番最初に目に入ったのは、真っ白な天井。
そして、心配する母の顔。
ここは、一体……?
殺風景な部屋、消毒液の匂い。
「病院よ、聖は病院に運ばれたの」
「病院……?」
訳もわからず、不思議に思う。
何で、僕は病院なんかに?
体を起こそうとすると、ズキッと痛む頭。
顔をしかめて、頭をおさえる。
そう言えば、学校は?
何で?
まだ、お昼なのに。
「お母さん……学校は?」
母は、目を見開く。
とっても、悲しそうな顔。
何……?
直後、母から聞いた嫌な言葉。
僕は、予想していたのかもしれない。
その言葉の、重さを。
「学校は……っ、」
【火事にあって、燃えてしまった】
ああ。
やっぱり、そうだったのか。
心は何故か落ち着いていた。
腕にある火傷のあと。
知っていたのに。
僕は、認めたくなかったのかもしれない。
「っ……」
そういえば、鈴音は?
ちゃんと、助かったのか?
他のみんなは?
大丈夫なのか?
心の中で自問の繰り返し。
「……ねえ、み、んなは……?」
母親は、顔を伏せる。
嫌な、予感がした。
まさか、まさか……
助からなかっ……
「大丈夫よ、聖の友達は助かったわ」
「良かった……」
だけど、何か胸騒ぎがする。
何で?
安心できるはずだ。
どうして?
皆助かった“はず”だ。
母は、重い口を開いた。
その言葉に、どっと冷や汗が出た。
何で?
何でだよ。
僕は、ただ、皆と。
ずっと、一緒にいたかった、だけなのに。
どうしてこんなにも。
運命は、残酷なんだ。
【皆、小1から小5までの記憶を失ったらしいの】
「っ、はあっ、はあ」
僕は、重い体を引きずりながら走る。
小1から、小5?
なんで。
よりによって。
“僕”と出会った時間の記憶を、忘れているんだ。
そんな、不平等な。
事があって、たまるか。
何で、僕だけっ。
「はあっ、はあっ」
僕は、屋上の扉を開けた。
外は冬で、雪も降っている。
そんな白銀の世界の中で。
彼女は、儚げに、立っていた。
不平等で、濁った空を見上げながら。
「っ、はあっ……」
「誰……?君……」
小首をかしげる、君。
その様子に、絶望を知ったのを感じた。
ああ、じゃあ君は本当に。
“僕”だけを忘れてしまったんだね。
「……聖だよ。僕の名前は、聖」
「聖……?」
母から聞いた話によると、火事のことに関するショック状態による一種の記憶障害だという。
ま、そんなの。
11歳の僕に話されても、よく分かんないけど。
でも、彼女は、ここにいる。
僕を忘れようと。
楽しかったあの、日々を忘れようと。
彼女は、ここで、息をして、生きている。
僕の目の前にいる。
その事が嬉しくて、思わず伝った雫。
「……?泣いているの?」
「ううん、大丈夫っ、だから」
ふわっと、頭を撫でられる。
驚いて彼女を見ると、彼女は優しく笑った。
その笑顔に、悲しさを覚えた。
変わらない笑顔。
変わらない仕草。
彼女は何も変わらない。
それなのに。
僕のことだけを、忘れている。
僕のこと、だけ。
再び零れそうになった涙に、慌てて上を向く。
だって、君にこれ以上泣き顔を見られるのは。
恥ずかしいし。
僕の涙を見た彼女がどこか悲しそうな顔をするのが、耐えられないから。
「……ありがとう、じゃあね“鈴音”」
「え……?なんで、私の、名前……」
わざとらしく、君の名を呼んだのは僕の我儘だ。
君に少しだけ思い出してほしいという、僕の最後の我儘。
僕は、真っ白な空を見た。
「───鈴音は、今でも歌が好き?」
「え……好き、だよ」
その言葉に、微笑む。
良かった。
君は、変わらないね。
【いつか、一緒に音楽を作りたいな】
君があの約束を忘れても、僕は忘れないから。
鈴音は、最後まで不思議そうに眉を八の字にしていた。
さきほどの、母の言葉を思い出す。
【記憶を、無理に思い出させないであげて。辛いことだけど、それがあの子達のためだから。】
僕は、彼女に背を向け歩き出した。
屋上の階段を降りたところで、急に足がふらついた。
力がなくなったの、間違いだろうか。
床に崩れ落ちた時には、自然と涙が溢れていた。
聖「っ、う……」
ばいばい、鈴音。
大好きだった。
初恋だった。
「っうぅっ……ひっく」
君の笑顔。
歌声。
忘れないよ。
皆と過ごせて、君と過ごせて。
本当に良かった。
ありがとう。
そして、さようなら。
君が忘れても、僕は君を忘れない。
だから、僕は紡ごう。
君のために、音楽を。
いつか、君が僕を思い出すまで。
だから、今は。
――――――――さようなら。