『私の上司でしかありません』って言ってはみたものの、直属の上司である荻野君を避けて通るわけにはいかなかった。
私は、一日の多くの時間を会社で過ごしているし、私の斜め前に彼のデスクがある。
しかも、打ち合わせや、営業でクライアントを回るのも、その上司と一緒だった。
彼が休んでた間に進んだ仕事の進み具合とか、クライアントや研究所から、問い合わせが来てた件とか。
これ以上ないっていうほど細かく説明しても、わからないところがあると、荻野課長に聞かれれば、答えなければならない。
おまけに、向かい合って座ってるからといって、ずっと視線が私の顔に向けられたままだ。
お願いですから、普通にしてくださいって言いたいけど、彼は、『普通にしてるつもりだ』といって認めないだろう。
狭い会議室に向き合って二人で居るのは、苦痛に感じるようになっていた。
「今の説明で、納得いただけましたか?」
かれは、ようやく、私の顔から資料に目を向けて、胸のポケットからペンを取り出して、アンダーラインを引き出した。
下を向いた時に、さらっとした前髪が落ちた。
彼は、無造作に髪をかき上げ、文字を追うのに集中している、厳しい表情を見せた。
さっきの、私に向けた何とも言えない表情ではなく、感情を出さない、仕事している顔に切り替わっていた。
「ineさんのケースだけど、もうちょっと情報ないかな。自然の風合いって言ってもどんな感じに仕上げればいいのかな」
「ごめんなさい。そこまで詰めてなかった」
「いいよ。いなかった俺が悪いんだ」
「一緒にいた新井さんに聞いてみる」
「天然繊維といっても、動物、植物から取れたもの、ウールや麻、綿や絹。サンプルと言っても膨大な量がある」
「ええ」
彼がアンダーラインを引いたところに、忘れないうちにメモする。
「葉子……」
彼の指が、すっと伸びて来て私の指に触れた。
私は反射的に、指を引っ込めた。
「ごめん、新井さんとこ行ってくる」


