この恋を、忘れるしかなかった。

「じゃぁ先生たちは、本当に何でもないんですか?」
「…やだ、何言ってるの。当たり前じゃない」
言いながら、先週の霧島くんとのコトが、嫌でも思い出される。
指先で無意識に触れた唇は、その温度が上がっているように感じられた。
「そうですか。でもやっぱり俺…霧島サンのこと、好きじゃないです」
「ふふ、正直なんだね」
「え、あ…いえ……すみません」
少しクセのある髪に、ぱっちりとした目---佐倉くんは、幼さの残るその顔を、少し赤らめているように見えた。
「大丈夫。苦手な人や嫌いな人なんて、居て当たり前じゃない?」
「…」
わたしは日誌の確認欄にポンと印鑑を押してから、両手でそれを閉じた。
「さぁ、佐倉くんは、帰って勉強勉強!明日も頑張ってね」
そう言ってわたしは立ち上がり、トイレに行こうと数歩歩いた時---、
「ひゃっ…」
だんっと黒板に手をついた佐倉くんに、足を止められたのだった。
わたしの視界には佐倉くんの腕しか映っていなく、行く手を阻まれてしまった。
何が起こってるのか良くわからないけど…もしかしてもしかすると、少し前に流行った"壁ドン"ってやつを今されてる⁈
佐倉くん一体どうしちゃったの…⁈
「さ、佐倉くん?わたしトイレに…」
「安藤先生、」
「…!」
テンパってるわたしなんかお構いなしの佐倉くんの顔が、わたしに近づいてくる。
「先……」
咄嗟に佐倉くんの腕の下を(くぐ)り抜けてそれを避けたわたしは、そのままドアの辺りまで逃げた。
「イタズラなんかしてないで、早く…帰りなよ」
それだけを言うと、わたしは教室から出て行った。
佐倉くんは、何も言わなかった。

「はぁ〜…」
廊下を少し歩いたところで、深めのため息をついたわたし。
イキナリあんな…キスされるかと思ったよ。
「…」
そう思うのは、自意識過剰かな。
佐倉くんがどういうつもりだったのかは分からないけど、顔が近づいてきた時、少し怖かった。
そして不謹慎にも、霧島くんじゃなきゃ…嫌だと思った。