この恋を、忘れるしかなかった。

「き、霧島くん……?」
「先生の手、冷たすぎ(笑)。ここ寒いから、風邪ひかないようにね」
握っていた手を離した霧島くんは、律儀に饅頭ごちそうさまと言ってから帰って行った。
「……」
霧島くんに握られた右手が…じんわりとあたたかくなって、それが全身に伝わる頃、わたしはドキドキが止まらなくなっていた。
どういうつもりで手なんか…彼女いるくせに……。
そこまで思ってすぐに、わたしの頭の中には写真で見た女の子ーーー霧島くんの彼女が浮かんできた。
次第に冷める、覚めていく身体。
「さぁっ、仕事仕事!」
わたしは誰もいない美術室で、ひとり声をあげた。
生徒に振り回されるなんて最近のわたしはどうかしてる…しっかりしなきゃ。

準備室であれこれ作業をしているうちに、まだ17時を過ぎたところだというのに、気がつけば外は暗くなっていた。
ヘッドライトをつけたわたしの車が、家へと向かう。
"かわいいね、安藤先生って"
霧島くんの言葉が、離れなかったーーー。

「おかえり梨花子」
「あ、ただいま志朗さん、今日は早かったのね」
普段は部活や付き合いなんかで遅い志朗さんが既に帰宅していて、缶ビールを空けていた。
「そう言うなよ。初日だから部活もないしな」
「そっか、そうだね」
「梨花子も飲むか?」
わたしは志朗さんが手渡してくれたビールの缶を開けると、ひと口のどを潤した。
「…ふふ」
「どうした?」
思わず笑みがこぼれたわたしに、志朗さんは不思議そうな表情をしていた。
志朗さんと一緒にお酒を飲むだなんて、いつ振りだろう。
「一緒に飲むの、久しぶりだなって思っただけ!」
「年末に飲んだじゃないか」
志朗さんは、はははと小さく笑った。
確かに年末にも志朗さんとお酒を飲んだけど、それはあくまでも休みの日のことであって、仕事が終わってからのお酒は、わたしの中では少し違っていた。
平日は、すれ違いばかりだから。